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(無題)

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 3月15日(水)16時14分11秒
返信・引用
  創価学会を斬るー敗者の論理ー

独裁・単一・閉鎖国家の危険性

このような国家は意思を統一し、一つの国家を一つの色となし、全体が同じ思想を持つ人物が主体となり一つの目的を達成させるのには有効である。しかし、このような国家で最も重要なのはその国家をなす指導者ではなかろうか。

指導者がいつまでも過去にとらわれ、事あるごとにそれに「根」を持ち、怨念を全体にさらけ出している限り、その国家には成長はあるまい。

そのいい例が、北朝鮮である。ことあるごとにわが国に対し、被害者意識を国民にアピールし、「謝れ、謝れ、わが国こそ正義である」の大合唱である。

一方、わが国はアメリカに原子爆弾を投下された国である。もし、わが国がいつまでもアメリカに対し、「原爆を投下され死者が大量に出た被爆国である。アメリカを絶対に許さない。謝罪するまでアメリカを国家と認めない」と言い張っておれば現在の日本の繁栄はありえないだろう。

日本はかつて独裁・単一・閉鎖国家であった。徳川幕府しかり、戦時中の軍部支配しかりである。しかし、第二次世界大戦後、民主化され、共産党も合法化され、多数の異なる人間の意見を尊重し、理解し、また世界に向けてその門を開放したからこそ現在の繁栄があるのである。

韓国しかり、中国しかり、彼らがいつまでも「従軍慰安婦」「日本軍による虐殺」のみに囚われ、国家の大道を忘れていたのであれば、今の繁栄は絶対にないのである。

他を排除し他を受け入れず、いつまでも怨念・嫉妬・修羅に明け暮れる集団には現在もなければ未来もないと断ずるものである。

要するにその国家が繁栄するか、滅亡するかはその国の国家の指導者に全てが掛かっているのだ。

・・・そして世の常であるが、いつも犠牲者となるのが一般の市民であることを忘れまい。

異流義もまたしかりである。

「嫉妬・怨念・憎悪」という三悪道を食し、いくら「大聖人だ、御書だ」と正義を掲げ非難・中傷しようとも、糞を食らった人間の口から出てくるものは悪臭だけである。御書を切り文し、全体の意味を反故となし、自分たちに都合の良い文証だけを使用し、更に会員たちを洗脳し、扇動するのが異流義の異流義たる所以である。

これを精神錯乱・頭破作七分というのではないだろうか。

まともな人間たちはこのような閉鎖集団からはいずれ遠ざかり、必ずや清流の流れる場所、その場所に正義を与え賞賛することであろう。 ・・・それは当初一人から始まり、二人、三人、四人と共鳴し、やがて邪は自然消滅するのであろう。それが仏法の道理である。

その前兆は未来ではなく現在既に始まっているのである。



敗者の論理 -被害者意識ー

敗者の論理いうものは常に「自分は被害者である」というものである。およそ勝負・外交というものは双方がそのスタート時点では平等の位置に立っているものである。日本は第二次世界大戦において敗戦した。歴代の総理大臣は第三国に対し謝罪し、重ねて謝罪した。・・東京裁判においては戦犯の首謀者たちは処刑され、あるものは数年間の牢獄生活を余儀なくされ、その罪を償ったのである。そればかりではない。日本は第三国復興のために戦後数十年間、否、現在でも賠償責任を「金」という形で補っているのである。

然るに第三国人たちは、ことあるごとに「日本は未だ戦争責任を果たしていない」と時あるごとにクレームをつけている。・・いかなるものであろうか?

また、彼らの現実はいかなるものであろうか? 中国は「失われた50年間」と称し、やっと民主化に進んでいる。メディア等で照会されている「中国繁栄」は、この民主化のおかげである。 韓国しかりである。ベトナムしかりである。

彼らが未だ被害者意識に固執し、民主化を怠り、閉鎖社会、一党独裁を貫いているとすれば、現在の繁栄は絶対に語ることは出来なかったであろう。日本しかりである。日本はアジア諸国を侵略した加害者であるが、同時に世界唯一の被爆国でもある。この日本がいつまでも「アメリカに原爆を落とされた被爆国であり被害者である」と米国との国交を断絶しておれば今日の経済大国には決して到達出来なかったであろう。

ドイツしかりである。東がいつまでも西は資本主義国家であり労働者を搾取する野蛮国家であると言い張っておれば、「鉄のカーテン」は永遠に開放されなかったであろう。 ドイツが統一されたのは他でもない、「同じドイツ民族である」からに他ならない。

同じことが宗教の世界に対しても言えるのではなかろうか?

敗北者の常套手段とはいかなるものか?

言わずと知れた、糞壷で「悪口大合唱」をするのである。自分たちの巣から一歩も外に出ない、閉鎖的、単一的、独裁的、このようなサイトに共感できるものは自己自身が開放されず、呪縛から離れられない堕地獄の衆生といえるであろう。

仏法とは過去・現在・未来である。過去に囚われている現実が現在である、現在囚われている「業」が未来へと繋がる。・・・このようにして敗者は「過去」のみに囚われ、現在非難している。・・このようなドロドロした粘着集団の未来とは、おして知るべし、敗北者であり、「悪口大合唱」であり、閉鎖的・単一的、一人の首謀者の意見が全体へと波及し、信をなくし、堕地獄へと旅立ちとなるのではなかろうか。

・・してこのように見られる敗者の論理というものは、敗者らしく退散し、大人しくしていればいいのである。しかし「負け犬」心理として勝者がいつも気になるようである。

大石寺には創価学会の「富士美術館」がある。今は閉鎖状態であるがここにアホウを一人置いて本山を常に監視させている。本山・猊下の動きが気になって仕方がないようである。少しでも動きがあればそれを本部に報告し、またしても捏造記事を書いて会員たちを洗脳しようとするのが目的である。気になって気になってしようがないのであろう。

かくして、かつての清流は濁流となり、濁流はヘドロと化し、教学研鑚・信心向上の清き新聞は宗門批判の道具と堕落し、罪障に罪障を積み重ねる。ご立派な異流義の誕生である。真っ黒に焦げ、悪臭漂い、脳天から湯気が出る異流義の誕生の瞬間である。

これひとえに池田氏の宗門に対する怨念、憎悪を源にしているのである。

たった一人の人間の怨念が全てをぶち壊してしまうのである。口でいくら正義を訴えようとも、全く意味をなさないのである。かつての独裁者、アドルフ・ヒトラーも同様である。たった一人の人間のユダヤ人を憎む怨念・憎悪が600万人のユダヤ民衆を地獄へと導いたのだ。そしてドイツは再び敗者として終了したのである。自他共に無間地獄ではあるまいか。

今創価学会からの脱会者が後を絶たない。・・異流義とはいずれ脱会者を出し消滅する運命であるのだ。

重ねて忠告する。貴殿らがいくら御書を巧みに使用し、正義を訴えても全く意味をなさないことを。




ネット犯罪による提訴はここで面倒を見てくれます。

財)社会安全研究財団
東京都千代田区内神田1-3-5
03-3219-5177

コンピュータ犯罪に対し、ネット犯罪防止法を提言したほか、麻薬乱用者の調査なども行っている。

被害者はこの窓口にて相談してくれます。



ネット上での個人の誹謗・中傷・個人情報の漏洩は犯罪である

侮辱罪          勾留または科料
名誉毀損罪        3年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金
信用毀損罪        3年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金
業務妨害罪        3年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金



なをこれはあくまでもネットに関する罰則規定であり、その他、慰謝料等諸金額が加算されます。




管理人の責任裁判 ー実例ー

「私の運営しているホームページの掲示板にて他人がひぼう、中傷されています。その人は実在する人物なのか、真実性については分からないのですが、削除する必要があるのでしょうか。」

 いつか忘れてしまいましたが、大手掲示板に書き込まれた中傷、ひぼう問題で、管理者の書き込み削除に対しての裁判がありました。その判決では、″ネット上の名誉棄損については、管理者にも責任がある″として管理者に損害賠償支払いと書き込み削除の判決が出されました。



敗者の論理 -邪推(じゃすい)-

昨日、創価学会系掲示板の若鷹が突然閉鎖になったそうだ。何とか管理人が謝罪し再開はしたようだが、事の発端は当方に対するデッチアゲ誹謗投稿がその原因であるらしい。まさに当方が既に記載した出来の悪い管理人の典型である。管理人は恥を知るべきだ。

2778を再アップしよう。

「このような管理人の無能さは、管理人と同一意見を持つ投稿者の場合、特に顕著であります。即ち自分と同じ意見を持つ投稿者のカキコに、それが例え個人情報をも含むものであるとしても、自分と同じ意見・主張であるために黙認してしまうのです。・・・要するに管理人自身が投稿者を快く迎え入れ、管理人としての義務を怠るのであります。・・そしてこのような管理人の無能力が思わぬ事件の発祥源となり、やがて新聞沙汰になるような大事件として、世間をにぎやかしているのが、近年のネット事件の数々であります。」

また、アホウなカキコをした人物がペッコンペッコンと何回も管理人に頭を下げて謝罪している姿は想像するだけで愉快である。まさにアホの断末魔の姿というところか。

曰く、

「通りすがりです。
私の書き込みのためにこちらの掲示板に大変なご迷惑をお掛けいたしましたようすで、本当に申し訳ありませんでした。(汗)
このようなことになってしまうとはつゆ知らず大変なご迷惑を掛けてしまいました。
ついついれいな氏に対する感情から不要に熱くなってしまいました。(汗)
管理人さまはもとより、投稿者、参加者の皆様に大変にご迷惑をおかけしたこと深く深くお詫び申し上げます。m(_ _)m
深く反省しております。このままこの掲示板がなくなってしまうのではないかと今日は仕事中も心配でなりませんでした。(汗)
再開となって感謝と申し訳なさで一杯です。
今後ハンドルネームも「通りすがり」から「クローズ」へと改めさせて頂きたく存じます。
こんなご迷惑をお掛けしてお願いできる身分ではありますが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。m(_ _)m
※管理人さまへは別にお詫びのメールを送りいたしました。本当に申し訳ありませんでした。m(_ _)m」

私は、当方に対する諸々のニセ情報が昨今闊歩しているので、彼らの掲示板上にて「全てウソ」であることを促したのであるが、結局はアホが見せるアホ所以の結果と相成ってしまった。これが創価学会の実体であろう。創価学会の宗門誹謗記事、猊下の悪口、おして知るべしである。つまり全てがニセ物ということだ。若鷹の管理人は、「余程困ることが掲載されていた面があるようです」と述べているが、当方にとって「余程困ること」等は何一つない。仮に当方の情報が公開されたとしても、法華講の幹部でもなく、フリー私にとって失うものは何もないのだ。それより、勝手な邪推によりネット上でデマが飛び交い当方が全く別人として歪曲化されている事に対し当方は笑いが止まらないほど愉快なのだ。「公人」とも言ってくれた。「お褒めの言葉」有難いことです。このように邪推が邪推を呼び、更にそれが邪推されるのだ。有名政治家やタレントがマスコミで騒がれ歪曲化、あるいは美化され全く別人としてのイメージを一般人が持ってしまうのと同じである。

以上
創価学会からの脱会を考える会



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Re: 100万の本尊

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 3月15日(水)08時06分17秒
返信・引用
  > なぜカルト宗教は生まれるのか 浅見定雄氏 著 日本基督教団出版局
> ここで幸福の科学のことをひとこと言っておきますと、彼らは表面上は
> オウム真理教や統一教会のようなひどいことはしていないように見えます。
> しかし私のところには、幸福の科学の元信者や現信者からの訴えが たくさん
> 届いています。
>
> 教祖の写真を一枚百万円で買わされたとか、脱会した者には徹底的に脅しが
> あるとか、あるいは布教に熱心なあまり離婚した人がいるとか、自分の事業を
> 全部やめて一切を幸福の科学に寄付してしまった人がいるとか、そういう手紙
> が来ています。
> 幸福の科学」というカルトが、私を名誉毀損で訴えてきました。
> 教祖の大川隆法という青年は、中国や韓国・朝鮮に対して、常識では
> 考えられないような ひどい差別発言を しています。
> 「中国は十億の飢えたメダカである」とか
> 「韓国・朝鮮は 再び日本の端女(はしため)(下女)となって日本に
>  犯され、日本の子を生まなければ救われない」とか言うのです。
> 私に言わせれば、これこそアジア諸国への名誉毀損で 訴えられるべき
> 発言です。 私は、ただそういう事実を 大川隆法自身の言葉を挙げて
> 暴露しただけです。そうしたら裁判になってしまいました。
> しかし怖いのは、彼らには組織の力とお金がたっぷりあるということです。
> ですから、もし私がたった一人で対応していたら、彼らは最高裁まででも
> 裁判を続けただろうと思います。そうしたら普通の人は、勝敗に関係なく
> 経済的にも精神的にも参ってしまいます。
> 幸い私には、この集会を主催なさったような弁護士の先生がたが手弁当で
> 味方についてくださいました。〔追記 この裁判は完全な勝利に終わった。〕
> ☆幸福の科学からの手紙―“幸福の科学”教義の滑稽をめぐって―という章で
>
> 幸福の科学広報局から送られてきた「面談依頼書」の内容とその経緯を詳述され、そのやり方が 統一教会とそっくりである
> 『こんなものが霊界からのお告げであるはずがない。もちろん「科学」の名にも「宗教」の名にも値しない。』


゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜


このようなものを100万円で売っているのですか!

あきれますね、
 

100万の本尊

 投稿者:匿名  投稿日:2006年 3月11日(土)08時23分48秒
返信・引用
  なぜカルト宗教は生まれるのか 浅見定雄氏 著 日本基督教団出版局
ここで幸福の科学のことをひとこと言っておきますと、彼らは表面上は
オウム真理教や統一教会のようなひどいことはしていないように見えます。
しかし私のところには、幸福の科学の元信者や現信者からの訴えが たくさん
届いています。

教祖の写真を一枚百万円で買わされたとか、脱会した者には徹底的に脅しが
あるとか、あるいは布教に熱心なあまり離婚した人がいるとか、自分の事業を
全部やめて一切を幸福の科学に寄付してしまった人がいるとか、そういう手紙
が来ています。
幸福の科学」というカルトが、私を名誉毀損で訴えてきました。
教祖の大川隆法という青年は、中国や韓国・朝鮮に対して、常識では
考えられないような ひどい差別発言を しています。
「中国は十億の飢えたメダカである」とか
「韓国・朝鮮は 再び日本の端女(はしため)(下女)となって日本に
 犯され、日本の子を生まなければ救われない」とか言うのです。
私に言わせれば、これこそアジア諸国への名誉毀損で 訴えられるべき
発言です。 私は、ただそういう事実を 大川隆法自身の言葉を挙げて
暴露しただけです。そうしたら裁判になってしまいました。
しかし怖いのは、彼らには組織の力とお金がたっぷりあるということです。
ですから、もし私がたった一人で対応していたら、彼らは最高裁まででも
裁判を続けただろうと思います。そうしたら普通の人は、勝敗に関係なく
経済的にも精神的にも参ってしまいます。
幸い私には、この集会を主催なさったような弁護士の先生がたが手弁当で
味方についてくださいました。〔追記 この裁判は完全な勝利に終わった。〕
☆幸福の科学からの手紙―“幸福の科学”教義の滑稽をめぐって―という章で

幸福の科学広報局から送られてきた「面談依頼書」の内容とその経緯を詳述され、そのやり方が 統一教会とそっくりである
『こんなものが霊界からのお告げであるはずがない。もちろん「科学」の名にも「宗教」の名にも値しない。』
 

Re: 宿坊の珍論を破す

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 3月 8日(水)16時57分16秒
返信・引用
  > ここに平成2年6月、大草の指示で妙観講が作ったビデオがあるが、
>
> そこには驚いたことに「宗教法人・妙観講」の文字がくっきりと
>
> 書かれているではないか(写真参照)。
>
> さあ、大草の釈明を待つ!


アホタンよ、よく聞け!

大草講頭に成り代り、お前の望みどおり、そのインチキ振りを暴露する。

「本記録は宗教法人創価学会が妙観講本部に対し為(な)された盗聴工作の証拠として、記録したものである。 平成2年6月22日」

と読むのである。 貴様は「創価学会」の文字をワザと削除したネ。
この謀略野郎が!

大体、「宗教法人、妙観講」なんて変な固有名詞が存在すること自体、可笑しいのである、アハハッハ

馬鹿メ!
 

宿坊の珍論を破す

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 3月 8日(水)16時49分11秒
返信・引用
  ここに平成2年6月、大草の指示で妙観講が作ったビデオがあるが、

そこには驚いたことに「宗教法人・妙観講」の文字がくっきりと

書かれているではないか(写真参照)。

さあ、大草の釈明を待つ!
 

仙崎の朝

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 3月 2日(木)22時56分27秒
返信・引用
  まだ、寒いね、
早く春にならないかな?
 

忍の八海

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月12日(日)07時22分9秒
返信・引用
  透明ですね、富士の清流が80年かかって地表から湧き出てきました。
 

本栖湖からみた富士

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月12日(日)07時09分28秒
返信・引用
  千円札の裏のデザインと同じですね!
 

忍の八海

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月11日(土)23時36分43秒
返信・引用
  富士の清流の湧き水で出来た、忍の八海です。
 

創価学会婦人部の・・・

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月 4日(土)17時55分31秒
返信・引用
  格好悪い姿を全部見たい人集まれ!



http://www.geocities.jp/mksutra/bouryakushudan.html

 

創価学会婦人部謀略集団

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月 4日(土)17時48分24秒
返信・引用 編集済
  アホ丸出し!

あっけなく「お引取り」頂きました!

このような行為自体、犯罪行為であり、犯罪集団であることが容易に読み取れます。

http://www.geocities.jp/mksutra/skbwhabk.html

 

創価謀略婦人部

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 2月 4日(土)17時46分33秒
返信・引用
  あっけなく「お引取り」頂きました!

http://www.geocities.jp/mksutra/skbwhabk.html

 

可愛そうですね

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 1月30日(月)18時16分43秒
返信・引用
  創価学会謀略集団の素顔

http://www.geocities.jp/mksutra/skbwhabk.html

 

「妻帯」に関しての創価学会員の妄想を破す

 投稿者:れいな  投稿日:2006年 1月18日(水)07時54分11秒
返信・引用
  アップいたしました。

http://www.geocities.jp/mksutra/skbwhabk.html

 

慶賀新年

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2006年 1月 9日(月)00時15分40秒
返信・引用
  一ヶ月以上ぶりか、、、忘れていた。。。こんな掲示板もあったなと。。
そういえばHNの由来である掲示板も全然見ておらん。つまらんからな。ふ。

ところで、あれからどうなったかと思っていたらどうにもなっていなかった。

だがれいな殿の
法華講員諸君! 投稿日:12月 3日(土)23時04分4秒
には感銘を受けた!
もっともだからといって糟粕は管理人におもねるような投稿は金輪際できないがな。

正信の法華講員が真摯に教学を語り合うというなら、糟粕も襟を正して参加したい。。。ものではある・・・・が、たぶん無理だろう。
横槍君も東風殿もみんなまじめな法華講員であろうとは思う。
だが教学は遊びではない。信仰は趣味でもアクセサリーでもない。
事を事と行ずることができないなら、「スカタン」と言われてもしょうがない!
 

謹賀賊滅

 投稿者:呆太郎メール  投稿日:2006年 1月 7日(土)15時40分24秒
返信・引用
  謹んで新年の挨拶を申し上げます。

本年もまた、創賊、正信賊、顕正賊の衰退が顕著となるでしょう。

平成二十一年を目指し、頑張ろう。
 

勝利で終了し、勝利で事始だ!

 投稿者:管理人一同  投稿日:2005年12月26日(月)19時47分38秒
返信・引用
  謹賀新年 2006年 元旦


もはや我々の前に存在する創価学会は全て沈没した。

本年も頑張ろう! 折伏!

なお、カキコはすべてここでお願いいたします。

http://www1.ezbbs.net/07/reina/

 

(無題)

 投稿者:矢野通彦  投稿日:2005年12月13日(火)12時50分47秒
返信・引用
  >ただ、本事実はどの大手メディアも報じることが出来ない。



なるほど。

http://plus-1.clanshosting.com/soc/

 

犯罪集団、創価学会

 投稿者:れいな  投稿日:2005年12月10日(土)21時28分22秒
返信・引用
  【12/10(土)14:15】

 本サイトが投稿情報を得ていち早く報じた、総合経営研究所の内河健だが、こいつは「SG会」という創価学会関連の幹部だと判明した。一連の鉄筋減らしは、インチキ朝鮮人の巣である創価学会の組織的な関与、犯罪であることがほぼ確定した。ただ、本事実はどの大手メディアも報じることが出来ない。


http://nikaidou.com/column01.html

http://mkreina.gozaru.jp/aneha.html

 

小嶋社長

 投稿者:賜暇  投稿日:2005年12月 9日(金)00時02分42秒
返信・引用
  初めまして、お邪魔いたします。

姉歯、木村建設の癒着構造には創価コネクションの組織犯罪と言えると思います。
マスコミにはその点を深く追求して頂きたいですね。
 

姉歯

 投稿者:れいな  投稿日:2005年12月 4日(日)18時59分44秒
返信・引用
  アップいたしました。

http://mkreina.gozaru.jp/aneha.html

 

法華講員諸君!

 投稿者:れいな  投稿日:2005年12月 3日(土)23時04分4秒
返信・引用
  法華講員同士の建設的な意見の交換は歓迎致します。

・・・が、我々の根本の師はあくまでも日蓮大聖人であり、現時点においては、御当代日顕上人猊下であります。

御書を根本とした大聖人の仏法の研鑚、そしてその大聖人の仏法を相伝に基づき正しく指導くださる猊下。

このことを決して忘れてはいけないと思います。

これからは大いに御書、また御当代日顕上人猊下の指導をここで身に付けてゆこうではありませんか!

その上で意見があれば、大いに、明るく、建設的に論じ合いましょう。

12月3日、管理者として、ここに、この掲示板の路線の変更を宣言いたします。

管理人
れいな
 

所感

 投稿者:れいな  投稿日:2005年12月 3日(土)22時24分15秒
返信・引用
  ここに相応しい真面目な法華講員を集めましょう!


以上、


PS: スカタンの言動を鋭く暴露し、破折された「糟粕@宗教に関心を持とう」
氏の勝利と致します。
 

続きだ

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年12月 2日(金)21時43分3秒
返信・引用
  どうせたいしたことは書いてあるまいと思って、たいして読まずにレスしたのだが改めて読み返してみると大笑いである。

>この矛盾点に気付かずにとうとうと傲慢な矛盾を論じる貴殿はただの狂乱でありましょう。

「狂乱」とはよくぞ申したものよ。
もし事の一念三千を単なる「本仏の三世常住」という定義付けだけで終わるとするならそれこそ「理」であって「事」ではあるまい。やはり貴君は「事」の意味がわかっていないようだ。その分では「本仏の三世常住」という本義も理解しておるまい。ふっ。
 

事の一念三千

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年12月 2日(金)21時29分38秒
返信・引用
  東風殿
貴君は一念三千法門のなんたるかを知らぬようだ。
そもそも事と理の違いについてなんと考えておる。

迹門でも一応の十界互具・衆生の成仏も明かされるのである。
だがそれが本門の事の法門と異なるのは本門において本因・本果に併せて本国土の三妙が合論して説かれるからである。ここに真の十界互具・一切衆生皆成仏道の本義が確定するのである。

要は衆生に約せば「事実のうえでの凡夫の成仏」であり仏に約せば「本仏の三世常住」に尽きるであろう。なんということはない。

そもそもだ!糟粕が述べているのはそんなこと松本氏の論文に頼らずともフツーの書籍に書いてあるだろうと言うことだ。糟粕が知っているくらいだからな。
 

犯罪集団、創価学会

 投稿者:れいな  投稿日:2005年12月 1日(木)22時58分30秒
返信・引用
  教祖がインチキなら弟子もインチキだった!





姉歯秀次は創価学会員であることが確定!
 

ご返事

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年12月 1日(木)22時34分16秒
返信・引用
  糟粕@宗教に関心を持とう氏の矛盾におもう。


糟粕@宗教に関心を持とう氏いわく。
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>近代の正宗系の在家教学(創価学会等)では、天台の理の一念三千に対する日蓮大聖人の
事の一念三千とは、事実のうえでの凡夫の成仏をいうとされてきたが、

※その通りである。

>事の一念三千とは、本仏の三世常住であると論ずることに深く感銘を覚えた。

※松本氏の論文を読むまでそれに気付かなかった貴君は正宗の書籍を全く読んでおらんと断ずるものだ。創価学会の基本教学を難ずる前に自己の教学研鑽を横道に逸れることなく、正道を歩み・励むことだ。
----------------------------------------------------------------


 上記、糟粕氏は凡夫の個別成仏が事の一念三千であると肯定したが、

 松本佐一郎氏の論じた「事の一念三千とは本仏の三世常住」をも肯定している。

 凡夫の成仏を事の一念三千の本義とするのであれば本仏の力用であり、

 本仏の三世常住を事の一念三千の本義とするのであれば御本仏の衆生に対する働きかけであり
その本質は大きな違いがあります。

 この矛盾点に気付かずにとうとうと傲慢な矛盾を論じる貴殿はただの狂乱でありましょう。
 

創価学会の「毒」と株価との関連性

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月30日(水)22時38分9秒
返信・引用
  ソフトバンクの株価が先週後半、4月入りと同時に突如急騰しはじめ、5000円を大きく上回ってきた。新年度入りと同時のこの急騰劇の背景にいったい何があるのか。

 ソフトバンクの株価は4月1日に突如急騰をみせ、一時前日比ストップ(500円)高の5370円(終値は5330円)まで買い進まれ、昨年11月7日以来約5カ月ぶりに5000円台を回復してきた。

 株価が急上昇した背景について市場関係者は「全体相場が前年度末にかけての急騰の反動でやや一服状態となっていただけに、ソフトバンクのストップ高は注目を集めた。Yahoo! BBの個人情報流出問題などもあり、昨年秋以降ほとんど株価が上昇していなかった出遅れ感の強いソフトバンクだが、新年度入りをきっかけに証券ディーラーや個人投資家からのホットマネーが集中したようだ。全般相場の上昇によって、ソフトバンクの保有する株式の含み益が拡大してきたことが見直し買いの背景にある」としている。確かに、東証1部上場を果たした子会社のヤフーは株式分割後も順調な上昇をみせており、その分の含み益増加が主体となり、3月末現在ソフトバンクの株式含み益の合計は2兆3513億円と膨らんでいる。

 さらに、クレディスイスファーストボストン証券が4月1日付でソフトバンクの投資判断を「NEUTRAL(中立)」から「OUTPERFOM(強気)」へと変更し、目標株価も従来の4400円から6000円へと引き上げたことも買い支援材料として評価されたようだ。

 同証券のリポートによると「ソフトバンクの保有する公開・未公開企業の価値が大幅に上昇したことなどを考慮し、目標株価と投資判断を引き上げた」としている。また「3月のYahoo! BBの回線純増数は7万となり、個人情報流出問題に関しては最悪期を脱出したようだ。そう考えると、ヤフーやその他傘下企業の株価上昇に比べてソフトバクの株価上昇の度合いは低く、出遅れ気味」としている。

 3月のYahoo! BB回線の純増数は7万と、2月の11万に比べて減少したものの、3月の解約率が、年度替わりによる引越し急増月にもかかわらず1.5%と前年同月並みに止まったことから、業績面で最大の懸案とされてきた「解約率の増加」が軽微に止まる見通しとなってきたわけだ。ソフトバンクの孫正義社長も、3月19日の自民党電気通信調査会で「営業の一部自粛や見直しなどで、3カ月程度は新規顧客の獲得は減速する」と発言していたものの、実際の悪影響は最小限に止まる可能性が出てきたといえる。

 しかし、ソフトバンクの株価の先行きについては、楽観的な見方だけではない。外国証券のアナリストは「新規顧客の減少傾向については、もう数カ月先まで見て判断する必要がある。そしてむしろ、3本のCB(転換社債型新株予約権付社債)の転換価格は5488円、5957円、6493円(各500億円)であり、株価が上昇してこのCBの転換価格を越えてくると、CBから転換した株式の転換売りが出て、これが上値を抑える可能性も考えておかなければならない」としている。

 いずれにしても、このソフトバンクという銘柄は、業績面のファンダメタルズや株式需給など通常の株価決定要因では図り知れない投資家の人気によって株価が大きく左右され乱高下をみせる習性があり、当面は目の離せない展開となりそうだ。

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学会幹部が、ソフトバンクから撤去された2ヶ月後から株価が上昇! いかに創価学会が世間の毒となっていたのか、よく分かると思います!

http://www.geocities.jp/mksutra/takeoka.html

 

糟粕さんへ

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月30日(水)22時29分47秒
返信・引用
  >だがな、、、どうも疑問に思うのだがなぜ貴君等は御当代上人の御指南より何十年も前の在家の>論文を有り難がるのだ?それがわからん。

別に有りがたがっているのではないと思いますよ。
御法主上人の指導もちゃんと学んでおられます。


ここは大聖人の仏法を自由に研鑚する掲示板なので、多方面から勉学しているのでは
ないでしょうか。
 

Re・松本佐一郎居士の「富士門徒の沿革と教義」に学んだこと。

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月29日(火)20時30分15秒
返信・引用
  知らんな。たいした立派な人らしい。それはそれで結構である。

だがな、、、どうも疑問に思うのだがなぜ貴君等は御当代上人の御指南より何十年も前の在家の論文を有り難がるのだ?それがわからん。
「御書を心肝に染め、極理を師伝して」とはもちろん出家から在家への意義もあろうがそれ以前に出家者間での師弟相対が大前提である。それを踏まえての出家から在家への「師伝」であろう。在家の論文にも値はある。だがな、、、それにとらわれているあたり、「極理師伝」を理解しておらん。

>近代の正宗系の在家教学(創価学会等)では、天台の理の一念三千に対する日蓮大聖人の
事の一念三千とは、事実のうえでの凡夫の成仏をいうとされてきたが、

※その通りである。

>事の一念三千とは、本仏の三世常住であると論ずることに深く感銘を覚えた。

※松本氏の論文を読むまでそれに気付かなかった貴君は正宗の書籍を全く読んでおらんと断ずるものだ。創価学会の基本教学を難ずる前に自己の教学研鑽を横道に逸れることなく、正道を歩み・励むことだ。
 

松本佐一郎居士の「富士門徒の沿革と教義」に学んだこと。

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月29日(火)20時05分21秒
返信・引用
   今回、集中して日蓮正宗・常泉寺の法華講員であった松本佐一郎氏の
「富士門徒の沿革と教義」を読んだ。

 史学という科学的分野から日蓮大聖人の仏法を見るとこういう論理的展開に
なると感服した。

 科学から日蓮大聖人の仏法を評価することは「外用」の一辺からみるという
ことであり摧尊入卑という一面があることは法の字が述べたことである。

 しかし、専門書でありながらなんと情熱的な文章であろうか。史学書という一面とともに
れっきとした文学であることにも感服した。紙面から溢れる正法の情熱と教学の深さは
まさに法の字のいう「近代日蓮正宗教学の金字塔」と思われる。


松本佐一郎居士・富士門徒の沿革と教義から。


「諸御書に無い法門が書いてあるから口伝はニセ物だといふことはできない。しかしそれではあまりに口伝の独走を許すことになるから、口伝が右と言ひ、御書や三大部が左と言ふなら口伝を捨てろ、これが辰師(要山・日辰)の批判標準である。

 もっとも大聖人の論法は甚だ出没自在を極めてゐて、右と思はせて実は左を指す如き用法が有るから、よほど注意しないと化城と宝処を誤る危険がある。」

(富士門徒の沿革と教義・100頁)



 この指摘はさすがに深い教理の深化を果たした碩学の指摘と拝察される。

 日蓮正宗では古来より「御書を心肝に染め、極理を師伝して」とされるのは
創価学会や正信会や顕正会のような己義に逸脱することを防ぐための日興上人の
御指南であろう。

 近代の正宗系の在家教学(創価学会等)では、天台の理の一念三千に対する日蓮大聖人の
事の一念三千とは、事実のうえでの凡夫の成仏をいうとされてきたが、

 事の一念三千とは、本仏の三世常住であると論ずることに深く感銘を覚えた。
久遠元初の自受用報身如来が三世において等しく法を説き衆生を教化する法門に
改めて深い感銘をおぼえたのであります。
 

横槍殿

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月28日(月)21時37分0秒
返信・引用
  糟粕問うて云わく「東風君と横槍君は同一人であるか?」
横槍殿答えて曰わく
11月20日(日)00時54分7秒「やかましいわい! 」
11月26日(土)03時35分1秒 「そう、おもわれがちですが知る人ぞ知る同志です(笑い)。」

糟粕重ねて問う「法殿に誘われてきてみれば、、、、、相変わらず面白くない板である」
横槍殿答えて曰わく
11月20日(日)00時54分7秒「また、とんでも法太郎のお出ましかい?。」
11月26日(土)03時35分1秒 「そういわずにこれから語り合いましょう?。」

※とてものこと同一人の書き込みとは思えない状況に当惑している。
しかも後半部分は学会ウオッチャー氏に宛てた詰問に対する答えであり、これではむしろ三者が同一人なのかと混同する糟粕だがそんなことはどうでもよい。

※貴君等の心情はよくわかったつもりである。
我等が命題はたとえ「遊びの世界」であれ邪義破折に関して手は抜けぬ、学会破折こそ目下の緊急課題と言うことであろう。それが遠回りであろうと勇み足であろうと正義の勇者の振る舞いには感嘆するのみである。貴君等の益々のご活躍を祈念する。

ところでだ!
>普賢岳の土石流で出来上がった、平成新山
>創価学会・大法謗の副産物だ!

北海道にも昭和新山というのがあると聞いたが、これも謗法の副産物であろうかの?
いや、これは単なるジョークだ!
 

平成新山

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月26日(土)20時42分56秒
返信・引用
  普賢岳の土石流で出来上がった、平成新山



創価学会・大法謗の副産物だ!
 

池田の法謗と雲仙普賢岳

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月26日(土)20時40分4秒
返信・引用
  平成2年(1990年)
 11月17日 普賢岳から噴煙あがる
         (九十九島火口、地獄跡火口)

平成3年(1991年)
 2月12日  新たな火口出現(「屏風岩火口」と命名)
 5月20日  地獄跡火口に溶岩ドームが出現
 5月15日  初めての土石流が水無川流域に発生
 5月24日  初めての火砕流が発生
 5月26日  火砕流による負傷者発生
 5月27日  島原市と深江町に対し「災害救助法」適用
 6月 3日  大火砕流発生
        (死者43名:家屋焼失・倒壊179棟)
        長崎県が自衛隊に救援出動要請
 6月 7日  警戒区域設定
 6月 8日  大火砕流発生(家屋207棟が焼失・倒壊。
        先端は国道57号に達する)
 6月30日  148棟を飲み込む土石流発生
 7月10日  天皇・皇后両陛下お見舞いのため被災地入り
 9月15日  最大規模の火砕流発生(218棟が焼失・倒壊)

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

平成2年11月16日、池田大作が、公(おおやけ)の会合で日蓮正宗に対する宣戦布告(せんせんふこく)ともいうべき宗門誹謗(ひぼう)スピーチを行なった途端(とたん)、その翌朝には、突然、雲仙(うんぜん)・普賢岳(ふげんだけ)が200年ぶりに噴火。

平成2年11月17日、池田の法謗と同時に吹き上げた雲仙・普賢岳

平成17年11月25日撮影
 

どうも。

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月26日(土)03時35分1秒
返信・引用 編集済
  >東風君と横槍君は同一人であるか?

■そう、おもわれがちですが知る人ぞ知る同志です(笑い)。

>法殿に誘われてきてみれば、、、、、相変わらず面白くない板である。

■そういわずにこれから語り合いましょう?。

>糟粕の感想は・・・
珍しく「月餅くん」がまともなことを言っているようにも見受けられるが、
>法華講諸氏のご見解は異なるようである。さてさて大兄の反論や如何に???

■月餅くんがまともなことをいうのが珍しいという貴殿の意見は間違いです。
 かれがまともなこということはありません(笑い)。

■最初は法華経は密教ではないといいながら妙法の真言におたおたと慌てふためき
松本和道氏の論文を改竄してうそをつきました。ま、ただのうそつきの典型でしょうね(笑い)。

>法華経には真言も禅宗も他の爾前の諸経の法門のすべてが
>含まれていることは、よくよくいろんな書物をみればはっきりわかるのだ。
>いろんなとこに出ていることがわかったのだ。

>※そんなことを今頃解った貴君は相当な勉強家であることを認める。
>だがな、、、無量義は一法より生ずることなど法華経信仰の初門ではないのか。

■そのとおりです。げんざい、メールやチャットを通して意見の交換と論理の整合性を
整えている最中ですんがかんじんの法の字が仕事が忙しいので参加できていません。
ケイタイに入った最近の論旨は、貴殿のいうとおり

「無量義とは一法よう生ず」でありました。敬服します。

>※あまり先走らないことだ。足元をよく見て法主上人の御指南に添っていくがよい。
>我等末法の凡夫は「驥尾に附する」心がけを忘れてはならん、ということだ。

■もちろんです。

>※もっとも貴君等の目的は「創価学会からの脱会を考える」ことにあり
>「日蓮正宗の正しい信仰に導く」ことではないというならいらぬ節介であった。
>たった今気がついたがここは清流談所というのか!閉鎖したとも聞いていたが・・・・

■レイナ氏を中心に「創価学会からの脱会を考えるむ会」の活動の根本は
「日蓮正宗の布教」にあるわけですから同じことと想います。

清流談所は、過去に、管理人が忙しくて管理を放棄するという意見があつて
そのころ常泉寺の法華講員が立ち上げた板が出来たので統合する意味で
論点を集約するうえでも効果的と考えて閉鎖しました。

今回、法の字の強い意志で清流談所の復活を、れいな軍団の管理のもとでたちあげることになりました。

おおきな原因は、学会員の月餅くんが「遁走論議」に逃げ込んだことで、法華講が大勝利を得たことに
よります、これ以降は創価学会が法華講員に法論を申し出ることはあり得ないという判断によるもので
あります。

月餅くんは、破折され尽くした同じ論旨を繰り返しコピペしているだけで「逃げ回っている」のが
現状であることは、創価学会員からも「お詫び」のメールが届き、これいじょうの論議は必要が
ないのではないかという意見も出ている状況であります(笑い)。

>きれいだ!この地は当に天孫降臨の聖地であるか??

■まあ、きれいな写真ですね。

>学会破折は喫緊の課題であるが、密教云々・胎蔵界曼陀羅云々はずいぶん遠回りであるな。

■そうではないじゃないですか?これは信仰では対立しても、科学のまえでは勝劣は決まります。
創価学会員大費用の月餅くんは初歩的な教学すら知らないで仏法をうんぬんしていました。
これを破ったのが「創価学会からの脱会を考える会」一同の英知でありましょう。

>何と以てかような戯言を述べるのか?どうでもいいがの・・・
>「富士門流の教義、信徒の所感、信仰者としての想い、つれづれなるエッセイ、
>なんでも書いて・・・」とは大風呂敷を拡げすぎであろう。
>そのような狭量では末法広宣流布は語れまいて。。。

■広宣流布は「創価学会からの脱会を考える会」の板でやっています。
ここは、法の字の意向で、法華講員のために一服の清涼剤にするために路線を変更したのです(笑い)。

>それよりなにより、学会ウオッチャー氏の転載投稿は学会を苦しめるためのものか
>法華講を悩ますためのものか??
>もっともこの程度で惑乱する法華講員などいるべくもないがな。。。。。。だといいが、(-_-;)

■それは「杞憂」というものです。
 

これはつまらん!

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月25日(金)21時17分19秒
返信・引用
  >法華講員の成りすまし学会員がいよいよ登場してきたようです。

何と以てかような戯言を述べるのか?どうでもいいがの・・・
「富士門流の教義、信徒の所感、信仰者としての想い、つれづれなるエッセイ、なんでも書いて・・・」とは大風呂敷を拡げすぎであろう。そのような狭量では末法広宣流布は語れまいて。。。

それよりなにより、学会ウオッチャー氏の転載投稿は学会を苦しめるためのものか法華講を悩ますためのものか??もっともこの程度で惑乱する法華講員などいるべくもないがな。。。。。。だといいが、(-_-;)
 

これは面白い!

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年11月21日(月)23時08分41秒
返信・引用
  法華講員の成りすまし学会員がいよいよ登場してきたようです。  

Re・宮崎県 国見が丘

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月20日(日)17時30分45秒
返信・引用
  きれいだ!この地は当に天孫降臨の聖地であるか??

それはともかくこの地では有縁の某師が住職を務める寺がある。
先日洪水やらの報道があった際久しぶりに話しをした。
幸い寺に被害はなかったようであるが近隣の人家では大変な思いをしたことであろう。
このような天変地夭も創価学会を始めとする邪教の跋扈跳躍の故なるか??

学会破折は喫緊の課題であるが、密教云々・胎蔵界曼陀羅云々はずいぶん遠回りであるな。
 

熊本県 通潤橋

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月20日(日)12時51分10秒
返信・引用
  阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43m(昭和59年3月の通潤橋修理工事報告書より)の堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」という、大きな石橋がある。この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成したものである。
通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホン(注)とも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化財にも指定されている。

2005年11月15日撮影
 

宮崎県 国見が丘

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月20日(日)12時47分48秒
返信・引用
  神武天皇の御孫にあたる建盤竜命(タテイワタツミノミコト)が筑紫の国(九州)統治の命を受け、下日向県(しもひゅうががた)を経て阿蘇に向かう途中、この地で四方をのぞまれた。これにより「国見ヶ丘」と伝えられているとの事。

神々の国、高千穂の国見が丘からのご来光です。
2005年11月17日撮影
 

横槍君

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月20日(日)11時40分16秒
返信・引用
  >法華経には真言も禅宗も他の爾前の諸経の法門のすべてが
>含まれていることは、よくよくいろんな書物をみればはっきりわかるのだ。
>いろんなとこに出ていることがわかったのだ。

※そんなことを今頃解った貴君は相当な勉強家であることを認める。
だがな、、、無量義は一法より生ずることなど法華経信仰の初門ではないのか。
それでだ、、、禅や真言が法華経から出たものだとして、法華経にそれらの意義が含まれているとして、だから日蓮大聖人の仏法が密教であるとか胎蔵界曼陀羅がどうしたとか述べてこの末法になんの利益ありや?
それらの爾前の諸経も久遠の大法たる南無妙法蓮華経の分分の真実を述べたものには違いがない、だがそれらの片端片端説いたものにとらわれて末法の正境・正行を誤解せしめることを述べてどうしようというのだ。

>ぼくたちはどんどん先に進んでいるよ。

※あまり先走らないことだ。足元をよく見て法主上人の御指南に添っていくがよい。
我等末法の凡夫は「驥尾に附する」心がけを忘れてはならん、ということだ。

※もっとも貴君等の目的は「創価学会からの脱会を考える」ことにあり「日蓮正宗の正しい信仰に導く」ことではないというならいらぬ節介であった。

たった今気がついたがここは清流談所というのか!閉鎖したとも聞いていたが・・・・
 

月餅君のカキコにかんして

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年11月20日(日)11時07分59秒
返信・引用
  まぁ、きりが無いのでここらへんで月餅君のカキコ転載を小休止します。

創価学会のスカタン諸氏よ、ここで新法論者(宿坊は除く)を募集します。
 

やかましいわい!

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月20日(日)00時54分7秒
返信・引用
  また、とんでも法太郎のお出ましかい?。

創価の月餅なんぞただの無智にすぎない。

ぼくたちはどんどん先に進んでいるよ。

法華経には真言も禅宗も他の爾前の諸経の法門のすべてが
含まれていることは、よくよくいろんな書物をみればはっきりわかるのだ。

いろんなとこに出ていることがわかったのだ。

たとえば法道院で出している仏教読本なんかにもよく理解されているんだよ。

じゃ~ね~!
 

紀宮さまのご成婚を寿ぎ奉る

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月18日(金)23時51分51秒
返信・引用
  東風君と横槍君は同一人であるか?

それはともかく、法華講員のご活躍を寿ぎ奉る、、、のみである。

法殿に誘われてきてみれば、、、、、相変わらず面白くない板である。

糟粕の感想は・・・
珍しく「月餅くん」がまともなことを言っているようにも見受けられるが、法華講諸氏のご見解は異なるようである。さてさて大兄の反論や如何に???
 

反論不能の月餅くんに以下の質問は。興味津々

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月17日(木)21時40分43秒
返信・引用
  >月餅くんがなにやら泣き喚いていますが  投稿者: 横槍  投稿日:11月15日(火)22時25分52秒
引用
ところで、月餅くんのやつ、こいつに反論できたのかね↓。

-------------------------

月餅氏に聞きたい。

(1)日蓮大聖人の仏法が密教であることを認めますか?

(2)池田大作氏が妙法の蓮華に真言密教の胎蔵界曼陀羅を引用したことを認めますか?

(3)創価学会の教学部が宇宙法界の中心に真言宗の大日如来を据えたことは誤りですか?

(4)法華講の松本和道居士が妙曼を真言の曼陀羅を統一したものであるという発表を認めますか?

(5)創価学会員の月餅さん、あなたが、松本和道氏の所論を書き換えて引用したことは謀略
 と認められます。

--------------------

こいつに注目していたのだがな?。
 

>月餅くんがなにやら泣き喚いていますが

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月15日(火)22時25分52秒
返信・引用
  ところで、月餅くんのやつ、こいつに反論できたのかね↓。

-------------------------

月餅氏に聞きたい。

(1)日蓮大聖人の仏法が密教であることを認めますか?

(2)池田大作氏が妙法の蓮華に真言密教の胎蔵界曼陀羅を引用したことを認めますか?

(3)創価学会の教学部が宇宙法界の中心に真言宗の大日如来を据えたことは誤りですか?

(4)法華講の松本和道居士が妙曼を真言の曼陀羅を統一したものであるという発表を認めますか?

(5)創価学会員の月餅さん、あなたが、松本和道氏の所論を書き換えて引用したことは謀略
 と認められます。

----------------------------------------------------------------

こいつに注目していたのだがな?。
 

紀宮さまのご成婚を寿ぎ

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月15日(火)22時05分45秒
返信・引用
  天皇家から民間の黒田家へ嫁ぐ紀宮さまのご多幸を

こころよりご祈念し奉ります。
 

反論不能の月餅くん

 投稿者:脱会を考える会@事務局  投稿日:2005年11月14日(月)21時54分23秒
返信・引用
  月餅くんがなにやら泣き喚いていますが

コピペの繰り返しで「創価学会からの脱会を考える会」への

新たな反論がありません(爆笑)。

層下からもおちこぼれた月餅くんが、脱会を考える会への反論が出来た時点で

移植することといたします(笑い)。

いじょう、よろしくお願いします。

事務局からの連絡まで。
 

反論不能の月餅ちゃん(笑い)

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月13日(日)19時06分22秒
返信・引用
  >直接対話をしているわけでもないのに法太郎氏に「オマエ!」ではねえ。

そうそう。
法太郎氏の絶妙な文証の引用で完全に月餅ちゃんの愚論は全壊してもうた。
息の根が止まって悶死状態だな。

この間から思っていたんだがね、月餅ちゃんは法太郎氏を以前から知っているような
感じをうけるのだ。
法太郎氏の突っ込みの鋭さいじょうに感情的に狂乱状態になっているよ。
この月餅ちゃんは法太郎氏を以前から知ってるんじゃないかな。
そんな気がするのだ。
うーまん氏の板でも宿坊が突然に法太郎氏に、おまえの時代は終わったと
感情的な発言をくりかえしていた。

ま、月餅ちゃんはとうとう法太郎氏の論議に追いつくことは無かったな。
法太郎氏の論議はキッチリとまとまって学術的、月餅ちゃんは要点すら
把握出来ない幼稚な逃げまどい。ということで。
 

東風殿

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月13日(日)18時58分37秒
返信・引用
  ご返信有り難く思います。

>密教とは(中略)法華経の唯仏与仏の境涯と認識しています。
>正宗では真実の真言は法華経であるとされています。

誠にその通りであろうと糟粕も思います。
しかし一般に密教といえば真言宗の教えのことであり、真言とはそれこそ顕教の教主たる釈尊の経説ではなく、大日如来の経説を指して言うものでしょう。その点で貴氏等の論議は噛み合っていないようにも感ぜられるのです。まして教学希薄な一般の閲覧者にとって、「日蓮大聖人は密教を踏襲している」など理解の範疇を越えていることでしょう。これが「真の密教とは法華経のことである」という大前提があればなんの違和感もありません。しかし日蓮大聖人や日蓮正宗が積極的に「法華経が密教である、大聖人の教えはは密教である」とは論ぜられてはいない。密教勝顕教劣は真言宗の邪義であり、それに対する破折の辺に於て「真の密教は法華経なり」は理解できる。

しかしだ!無理に大聖人を真言密教に連なるものとすることになんの意味があろうか?糟粕は疑問に思うのである。
 

所感

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月13日(日)12時27分33秒
返信・引用
   今回の月餅くんの反論もどきは必死の気配がありました。
狂乱状態と言ってもよいでしょう。

 直接対話をしているわけでもないのに法太郎氏に「オマエ!」ではねえ。
おそらく法太郎氏が指摘していたように目が血走って必死になって
この板にくらいついているのでしょう。

 これも謗法の現証ですね(微笑)。
 

密教?

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月13日(日)12時21分12秒
返信・引用
  >学会員及び法華講諸氏は・・・・・
>「密教」という言葉をどのように定義付けているのであろうか?
>後学のためにお教え願いたい。



 密教とは顕教に対する語で仏の真実の教えは容易に説かれるものではなく
凡夫の覚れるものではないという法華経の唯仏与仏の境涯と認識しています。

 正宗では真実の真言は法華経であるとされています。
 

月餅くんの記事のこと

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月13日(日)12時17分59秒
返信・引用
   今後は、月餅くんの再掲載は、破折が終わった時点で
削除していただくことを事務局にお願いしました。

 月餅くんへの破折は全文破折に使用しますので困らない
のとスレッドの無駄遣いをなくすためです。

 学会ウオッチャー殿にもご理解をお願いします。
 

反論不能の月餅くんを追いかけ回すこと。(02)

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月13日(日)12時12分40秒
返信・引用
  月餅くんいわく。
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大聖人は、ご自身の生命を「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。」として下さったので、直接に我々は大聖人の生命と一体の妙法を修行できる。だから大聖人は「諸仏を眼前に呼び出すことをしなさい」とはおっしゃられない。「信心」を言われるのである。だから諸抄で大聖人は法華経もインドには「印契」があったが、枝葉なので省略されたのだと何度も言われている。しかも何度も引用した次の仰せがあるのである。「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)「凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には、何の不足か有るべき。」(法華真言勝劣事)
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 日蓮大聖人の御本尊は大曼陀羅であります。功徳聚といい円満具足であるいじょうはことごとくの仏教の源であることはいうまでもありません。法華経には法華経の印があり爾前権教には法華経をもとにした「片端」の法門がとかれいます。この違いを論じたのが一連の問題点でしょう。

月餅くんいわく。
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>これと同じ事例に御義口伝の慈覚を文証として例証とした。(爆笑)、これはケッペイ創賊がどんな遁辞を構えてもただ一カ所の慈覚引用の例であり、大聖人の御指南なのである。(苦笑)、なーにが、「同じ事例」だ。子供だましに過ぎる。「秀句十勝抄」は該当の文を肯定して引用していないのである。「大聖人の御本尊が印である」なる義の依文ならば、他抄に肯定して引用があるはずである。
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 ここが月餅くんの大ウソツキの現象といえますね。日蓮大聖人の真筆を否定していることに気が付いているのでしょうか?すなわち月餅くんは日蓮大聖人を否定しているのですよ。

月餅くんいわく。
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>御本尊の内証は唯授一人の相伝の方の内証に受け継がれるものであり、私ども信徒は信受するのみである。ましてや不相伝の創賊の徒輩には、御本尊の真義などまったく無縁のものである。(苦笑)「大聖人の御本尊が印である」なんて言っておるのは、オマエたちだけである。これが宗門の相伝であることを証明してみよ。こんなのが相伝ならば、「唯授一人の相伝の方の内証」とはくだらぬものよのう。(大爆笑)
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 日達上人が允可されました。宗内の発刊本は御宗門の許可がなければ発刊出来ません。松本氏の「富士門徒の沿革と教義」の版権は御宗門が持っているとのことです。だんだん言葉遣いが乱暴になってきています。反論不能がそんなに「クヤチイ」のですかね?。

月餅くんいわく。
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>都合の悪い文証は切り文にして本来の述者の意向を別なものに書き換える「己義法門」を構築するノータリンであることを示す。(笑)、法太郎よ、オマエのことではないか。(笑)オマエの姑息な手法はもう笑い者になっているのだよ。
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 われわれは月餅くんが創価の笑い者と認識しています。法太郎氏が多くのネッターに注目されていることは本当であります。彼の一言一書きが多くのネッターに引用され取り入れられ研究対象になっていますが月餅くんの論が注目されて研究されていることは聞きません。

月餅くんいわく。
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>「このように真言宗の法門が妙曼に取り入れられてゐるとすると、あの大三角形も一切知印の巧用ではないかといふ推定が生まれてくる。一切知印は諸仏化他の徳を生ずる大勇猛等の菩薩、仏母を眷属とし、卍は平等無礙周遍法界の義を表す。といふのだから妙曼に化他の徳を生ずる地涌四大士を眷属とする大三角形としてあらはされてゐる中尊は、即ちこれ真実文底の一切知印であらう。史料が無いのでこれも義推だが、立正大学の研究発表大会でこの説を出したが一つも文句が出ず、却って木村日紀博士にほめられたので、当らずとするも遠からずであらうと思ふ。こんな義推法門を発表するのは私の分際には過ぎた事だと思ふが、今は所見を記して清雅の高鑑に俟つ。」(同頁)>この、松本和道居士の研究は日達上人が監修され、「解」の一文字を与えられていることからも正しいものである。しかも、立正大学の学会で発表され認証されたのであるから通仏教においても承認されたと捉えてもよいであろう。第一に、松本氏の言っていることは、「大聖人の御本尊が印である」では全く無い。第二に、既に繰り返し言っているが、松本氏の言う「大三角形」は、大聖人の現存する全ての御本尊にあるわけではない。歴代の書写にもそうでない御本尊がある。今では現存の大聖人真蹟御本尊はネットでも写真公開されているから、誰でも確認できる。つまり、この「大三角形」自体が牽強付会である。しかもそれをもって「一切知印の巧用ではないかといふ推定」は、石山でも彼が最初であるはずだ。「立正大学の研究発表大会」で文句が出ず、木村氏が誉めたからといって、これが学説として定説化されているなど聞いたことがない。全ての御本尊の相貌に当てはまらず、文証も無いものを採用できない。「立正大学の研究発表大会」を「通仏教」と言うのなら、石山の教義や相伝などは「通仏教」とやらで大聖人のものと認められていないものばかりである。日達法主は、松本氏の著作に間違いがあれば責任を持つのか?
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 御本尊が印であることは首題のかたちに対してのものであり、首題が印契であれば御本尊は印であるとも、印を備えているということも表現の角度の違いであり「同義」であります。

 通仏教(仏教学)と伝統の正宗教学が対立することはありますが、大石寺の「日蓮本仏論」が通仏教界で話題になり、その方面でも研究されていることは事実であります。

 現在御宗門では大学とのつながりもあり仏教学の方面からも取り組んでいることも本当であります。松本氏に対する破折であれば勝手にやればよろしいことであって、日達上人が「解」と允可されたいじょうはわたくしどもはなにも異論は無いのです。

月餅くんいわく。
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>日興上人の御指南を日順師が書き留めた「五人所破抄」に、>一念三千の本仏を三十二相八十種好の尊形の色法像で表すことは困難である。>しかし本因妙の教主は本果妙であることも事実である。>無作三身の本仏は示同凡夫である。>が内証本果から、下種結縁に漏れた衆生の救済にあたる随他のうえでは尊形を前面に出したお姿で化導にあたる。即ち迹面本裏であるが仏位によってそれぞれに印契があることは仏教の常識である。>日興上人は強執の一機に対し、四菩薩を脇士とした久遠実成の釈尊像を認めておられたこのアホ満開男は一体何が言いたいのか?大聖人は凡夫即極を示され、色相荘厳は大聖人の教えではない。大聖人の化導は、顕本されて以降も凡夫としてされた。尊形を前面になど出されていない。日興上人の正意は大聖人の曼荼羅御本尊であり、「四菩薩を脇士とした久遠実成の釈尊像」はあくまでも「此れは是れ且く一縁の為なり、故に強いて執する者等と云うなり」(日寛上人)とするのが石山の義ではなかったのか。>おそらく、法華講員の中でも通仏教を研鑽していない方々には少し驚かれた内容と思うが、これが外用・内証の双方から論じた大聖人の御法門の格子である。可笑しくて腹が痛いわい。
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 暴言のみをまきちらし肝心の中味はまったく「スリカエ」と「大ウソ」と「反論不能」の現象でありました(笑い)。

月餅くんいわく。
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忘れていた  投稿者: 月餅  投稿日:11月 1日(火)12時13分59秒忘れていた。>破折し捨て去るもの>はじめは真言は謗法であると破折であり日蓮大聖人が用いるわけは無いといいながら月餅が「捨て去るべきもの」と言っているものを出しなさい。出せないのに、そのような卑怯な手法を使うのは止めなさい。月餅はこの密教の問題が焦点になった最初から次のように示し一貫している。以下引用する。************************************************14555.ついでに5名前:月餅    日付:7月29日(金) 7時41分>大聖人の仏法があきらかに密教を踏襲しているものであることから当然といえよう。「大聖人の仏法があきらかに密教を踏襲」?「踏襲」とは「前人のあとをそのまま受けつぐこと」(広辞苑)である。大聖人は密教をそのまま受けつぐようなことはされていない。「年ひさしくなれば、いよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候いけり」(撰時抄)「天台座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其の主は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり」(報恩抄)「真言の大悪法」(頼基陳状)「物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり。然れば則ち真言を密と云うは隠密なり(中略)微密の密は法華なり」(真言見聞)大聖人はあくまでも大聖人の立場から、真言も開会して用いられるのであって、断じて「踏襲」ではない。
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 表示が違うだけなのですね?。言葉を換えれば月餅くんは法太郎氏はじめわれわれ法華講員の所論に従いますか?(笑い)。松本氏のいう文化というものは前代のものを踏まえて新しいものが出来るということであって、これは「踏襲」と言ってもおかしくはありません。ことばに逃げ込むのが精一杯の月餅くんには哀れみ以外のなにものも覚えません。

月餅くんいわく。
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真言の言葉や形式も、全て大聖人の立場によってその本質的意味を変えられたり、あるいはその「実」を「妙法の五字」によって顕すのである。「設い爾前の円を今の法華に開会し入るるとも、爾前の円は法華の一味となる事無し。法華の体内に開会し入れられても、体内の権と云われて実とは云わざるなり」(諸宗問答抄)「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばか(借)れども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば、有情の成仏、木画二像の本尊は有名無実なり。」(観心本尊抄)「一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(開目抄)***************************************************キミらの幼稚な誤魔化しなど通用しないのである。
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 通用しない誤魔化しは月餅くんであります。

 以前は密教は破折以外の対象ではないといいながら「妙法真言」にあわてふためき、開目鈔の一切の仏説は真言なりを聞いてあわてふためき、印を否定して相伝書を出されたら法華の印を認め、自分の大矛盾をひたかくすために外部の曼陀羅義を持ち出して論点をぼかして遁走をはかり、失敗すると「言葉」に逃げ込む。創価学会代表の「議論失敗者」の烙印はすでに押されています。

月餅くんいわく。
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--------------------------------------------------------------------------------ついで  投稿者: 月餅  投稿日:11月 1日(火)11時18分44秒ついでだ。これでも月餅は優しいのである。(笑)>日達上人が御本尊を「成仏の印」と説法された言葉を「印契」とすりかえて幼稚な謀略で逃げ切ろうと画策する>なんせ誰でもわかる、日達上人の言葉をすりかえたつもりで逃げ切ったと思っているのだかんな(笑いよく読んでみなさい。月餅の主張どおり、この日達法主説法の「印」は「印契」ではないと認めるのだろ?一行の「大日経疏」の「印」は「印契」のことである。「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」法太郎はこの文を示して「大聖人の御本尊は印である」との邪義の文証としたのである。>御本尊様の当体が真言密教の印に相当しているとはいくらなんでも拡大飛躍の論理ではないかと思っていましたこれがキミ達の本心ではないか。(爆笑)
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 日達上人が允可された松本氏の印は「一切知印」という「印契」であります。またスリカエに失敗しましたね(笑い)。わたくしも松本氏の御研鑽には今回拝読されましたが驚いたのは事実であります。

 そして自分の勉強不足を覚えました。これが本心であります。

月餅くんいわく。
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--------------------------------------------------------------------------------れいな板応援団、反論不能で泣く  投稿者: 月餅  投稿日:11月 1日(火)11時17分8秒れいな板応援団はとうとう反論論証できない状態に陥っている。あまりにくだらぬ内容なので、もはやそのまま晒すことでよいが、慈悲深く簡便に教えておいてあげよう。(笑)>月餅くんウソはいけません。月餅くんは最澄の言説を大聖人の御指南であると勘違いしていました。大笑いである。自分たちが勘違いしていたからこんなバカな手法に拘わるのであろう。法太郎も最澄の言説を次のように言っていた。「御指南され、「妙法の真言」を御指南」「御指南され、「妙法所具の真言」、すなわち大聖人の内証に所具されているところの真言は認めておられる」法太郎やれいな板の主張を採用するならば、「最澄の言説を大聖人の御指南」としていたのは法太郎自身である。月餅は「9月5日(月) 18時29分」の「15140.法太郎は御書が読めない」で、読者のために「「秀句十勝抄」のここは、伝教の「法華秀句」の引用であり」と指摘しているが、法太郎が泣き喚きだしたのはその後の、「8387.脳乱のバカ月餅を笑う、④  日付:9月5日(月) 20時17分」が最初である。法太郎は、月餅の投稿を見て気が付いたのだ。(大爆笑)更には、法太郎やれいな板は、一行の『大日経疏』からの文を大聖人の指南と繰返している。大聖人はこの文を肯定して使用されていない。
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 では否定している文証をあげてください。他に説かれていないと言う月餅くんがどうしてそのようなことを言えるのでしょうか不思議であります。ここでも月餅くんが大ウソツキであることが証明されましたね。

月餅くんいわく。
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>法太郎氏は以前も今も諸宗の法門は天台から出たものであり諸宗の教義はその証拠であると述べられています。>法太郎氏は諸宗が天台に依憑しているから諸宗の法は天台に備わったものであると論じていましたね。なんらおかしなことではありません。言葉の表記にすがりついて別な意味にスリカエようと画策している月餅くんに無理がありますね。大笑いである。月餅が、「諸宗が天台の法を証拠としている」に対して、法太郎は「大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。」と否定したのである。最初の方はずっと法太郎はこの立場だった。キミたちがこの部分にからんでから、法太郎は支離滅裂になったのである。応援団諸君、ごくろうさん。(爆笑)
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 日蓮大聖人は天台と伝教以降の方であります当然ですね?。日蓮大聖人が伝教最澄の法華秀句を拝し三国四師の踏襲から、更に末法の御本仏として文底の法華経によって諸宗の法門を統一したのは事実でしょう。であるから御本尊には真言宗の印契が備わっていると言っているのであります。

月餅くんいわく。
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>法太郎氏は大聖人の仏法が寄せ集めなどといったことはありません。いってもいないことを勝手にでっちあげているのが月餅くんでしょう。ほら、また読解力の無い姿を晒している。法太郎が月餅のベルグソンの引用を示した意味を捻じ曲げているので、このベルグソンの指摘が間違っていると言うのであれば「法太郎には、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めとでも見えるらしいのう。」と揶揄したのである。ワカリマスカ?
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 ワカリマスよ。貴殿が日蓮大聖人とベルグソンが重なって見えると言ったことは事実でしょう。それとも言っていないと言い張りますか?

月餅くんいわく。
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>日寛上人は曼陀羅を約すために大日経義釈と義釈の註釈書の演密抄を引用しています。>日寛上人が大日経義釈を用いられたのは日蓮大聖人が妙法蓮華経の説明に胎蔵界曼陀羅を示したように依義判文ではなくたんなる「援用」であります。やれやれ。日寛上人は、大聖人の「妙法曼荼羅」を示すために引用されているのであり、真言の曼荼羅のことを指すためではない。引用に対して「私に云く」とし、「これ則ち当流の本門の本尊なり」、「これ則ち本門の戒壇なり」、「これ当流の題目なり」と明示されて論じておられる。大聖人の義で「依義判文」されているのである。「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)>御本尊と印と字は一相の開合であるとは日蓮大聖人の御指南であります。>他にはなくとも秀句十勝抄にきちんと出ています。わかりますか?
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 ワカリマスよ(笑い)。日寛上人は一行を引用して当家の題目なりと御指南されていることは法太郎氏が述べたものですよ。日蓮大聖人が義釈を引用して「印」を「本尊」と御指南されたことと変わり在りません。

月餅くんいわく。
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「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」は一行による『大日経疏』の文であり、この文を大聖人は「秀句十勝抄」で肯定して引用されていない。他抄に一度も引用されず、肯定した事例が無い。ワカリマスカ?
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 ワカリマスよ。日蓮大聖人の真筆でも都合の悪いものは認めないのですね。「反日蓮大聖人の月餅くん」一度ま他に引用がないことは御義口伝の慈覚の例にもありますね(笑い)。貴殿の反論は反論になっていないことから逃げられません。

月餅くんいわく。
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>伝教大師最澄が密教をも含めた四教兼学を宗是としたことは事実であります。大聖人のお考えを求めているのである。大聖人は「敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん」(撰時抄)と仰せである。>日蓮大聖人が己心の仏界に大日如来を認め、外用において大日如来から摘摘相承をうけられたことは事実です。「猶し天台の法身、般若、解脱の義の如し云云。」は、一行が、「大日経疏」において大日如来について述べているところの引用である。この文を大聖人は「秀句十勝抄」で肯定して引用されていない。大聖人は一度も「法身、般若、解脱の義」が備わる義を論じて大日如来を言われたことは無い。
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 しかし、日蓮大聖人の御本尊には己心に備わった諸仏として大日如来はありますね(笑い)。

月餅くんいわく。
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>御本尊には「印」も備わっているわけです。「印も備わっている」と、法太郎が言う「大聖人の御本尊は印である」は全く違うではないか。
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 破折済み(笑い)。

月餅くんいわく。
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大聖人は諸御書で印契を「枝葉」とされ、次のようにも明言されている。「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)「凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には、何の不足か有るべき。」(法華真言勝劣事)> 法太郎氏の所論にはきちんとした文証がありけっして己義などではないことと理解しています。法太郎が示した文証は、大聖人が肯定して引用されているのではないものである。月餅は法太郎の論を否定する大聖人の仰せの文証を多数提示している。>御本尊が印を示しているということは松本佐一郎氏の指摘であり日達上人が解と認めているいじょうはその一義があると考えてよいと思います。松本氏の著に間違いがあれば、日達法主の責任が発生するということで良いのだな?
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 よろしいですよ。

月餅くんいわく。
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大聖人の御本尊として現存わかっている写真は公開されており、その相貌を知ることが出来る。松本氏の指摘に合わない御本尊があるのだから彼の論はそのことを無視した牽強付会である。歴代書写の御本尊にも合わない御本尊がある。しかもだ、その松本氏も法太郎のように「大聖人の御本尊は印である」なんて言っていない。原著を読んでみなさい。
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 しかし、松本氏の指摘は日達上人が允可されているものであることは事実です。

月餅くんいわく。
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> 日達上人は「印契」とはいわれていません。「成仏の印」とご説法されているのです。>今度は文面をスリカエテ逃げ切りますか?これで月餅くんの逃げ口上はふさがれましたね。それみなさい、月餅の主張をよく読んでみなさいよ。日達法主の「成仏の印」は「印契」では無い、ということではないか。一行の「大日経疏」の「印」は「印契」のことであり、法太郎はこの文を示して「大聖人の御本尊は印である」と言ったのである。ワカリマスカ?
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 ワカリマスよ(笑い)。日達上人は、松本氏が御本尊の首題の印契を指摘していることを允可されたのです。おわかりですね。

月餅くんいわく。
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> 月餅くんの所論はまったく法太郎氏への反論になっていませんね。>なにせ完璧に破折し尽くされていますからね。大爆笑。
ああ腹が痛いほど笑えるのう。
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反論不能の月餅くんを追いかけ回すこと。(01)

 投稿者:東風  投稿日:2005年11月13日(日)12時11分27秒
返信・引用
  月餅くんいわく。
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16035.みんなで笑ってやろう反論不能に陥った法太郎とれいな板であったが、法太郎は一週間もかけて書き込みを入れてきたが、今回の法太郎のものも、またまた誤魔化し満載の姑息なものであった。以下で教えてあげた。http://432.teacup.com/train/bbsその中から、法太郎自爆のものを一つ、ここでも紹介する。=====================法太郎いわく、>そのうえで「御本尊=印」であるなどとはまったく述べておらないのである。これはケッペイ創賊のスリカエ論議であり、妄想の産物である。(爆笑)、法太郎は、とうとう自分の言ったことを完全否定した。(大爆笑)今回もオマエはこう言っているではないか。オマエは日本語がわからないのか?>大聖人が御本尊を印とされた御書は後世に伝わっておる。即ち「秀句十勝抄」である。以下、法太郎が過去に言っていたものからである。**************************************>「お笑い月餅『チャンコロ劇場』を笑う、  投稿者: 法太郎  投稿日:10月 3日(月)19時40分3秒 」「即ち、このチャンコロ月餅は、私が以前に宿題として出してあった。大聖人の御本尊が印であると述べられているという御書の一節を、一週間以上も「御書索引」や、御書判を検索して発見出来ず、ついに私を越すことが出来なかったのである。」>「バカ月餅の妄乱を破す、(笑)、  投稿者: 法太郎  投稿日: 9月19日(月)20時40分3秒 」「そして、大聖人の御本尊がまさに「印」にあたることは御書に明白に説かれておるのである。」**************************************
れいな板応援団もこう言っていたぞ。オマエはこれを訂正していない。**************************************>「循環論議の 反論不能の月餅くん。  投稿者: 横槍三助  投稿日: 9月22日(木)23時01分24秒 」「で、法の字がいってた御本尊は印であるという文証をまだ発見出来てないようです。御本尊はまさに印だった文証、自分は発見しました。法太郎氏の所論はまさに正しいものでした。日蓮聖人は三相を明かして文字と印と御本尊を一号の相だとゆってますよ。はてはて、一閻浮堤未曾有の大曼陀羅は密教でゆう印でした。」**************************************法太郎も、れいな板応援も「大聖人の御本尊が印である」「御本尊は印である」の大合唱ではないか。(無慚!)======================「大聖人の御本尊が印である」なんて、れいな板以外、普通の講員が見ても邪義とするであろう。その法太郎が次のように言っている。可笑しくて、腹が痛い。>おそらく、法華講員の中でも通仏教を研鑽していない方々には少し驚かれた内容と思うが、これが外用・内証の双方から論じた大聖人の御法門の格子である。大爆笑である。
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 法太郎氏の言はなんら変わってはいなく御本尊は万法の根源であり、爾前権教どころか宇宙法界のすべての法の根源が妙法であるいじょう、すべての法は御本尊であり、すべての法が備わっているということは日蓮大聖人の教えであります。

月餅くんいわく。
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法太郎、反論不能でまた姑息な手段にでる  投稿者: 月餅  投稿日:11月 9日(水)14時46分25秒反論不能に陥った法太郎とれいな板であったが、法太郎は一週間もかけて書き込みを入れてきたが、今回の法太郎のものも、またまた誤魔化し満載の姑息なものであった。どうして法太郎宛てへの返事ではなく、れいな板応援団宛てのものに返事してきたのかと思ったら、法太郎よ、次の2つが答えられないのか?漢文の素養がどうのこうのと言ったのはオマエだし、2つ目はオマエの主張はどっちなのかを聞いているのだ。***********************************「秀句十勝抄」の「法則諸宗之証拠矣。」を、読んでみなさい。どちらも法太郎の言葉である。a「「法は即ち諸宗をもって証拠とす」というのは、諸宗は天台の仏法の証明になり得ることを指摘したものなのである。」b「即ち、東風氏が云っている、「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです」とは、まさにその通りである。」月餅が、「諸宗が天台の法を証拠としている」に対して、法太郎は「大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。」と否定した。さあ、「a」or「b」、どちらなのだ。
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 相手に対し、答えを設定しておいて「どちらだ」は、初心者のものであります(笑い)。法太郎氏はわたくしの言である「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげである」を肯定していっことであり同じ物であります。

★これに対し月餅くんはたいへんなうそをついています。月餅くんはこの一文を破折したものだと論じたのです。


 月餅くんに聞きたい。

(A) この文は諸宗を破折した文なのですか。
(B) 今回は諸宗を天台の証拠であるといっていますが大矛盾ですね。

月餅くんいわく。
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>最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、最澄の引用であることを教えてあげたのは月餅である。(笑)二度も証明を出してあげている。
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 月餅くんはまぎれもなく秀句十勝抄の最澄の言説を大聖人のものと混乱していましたね。いまさらスリカエルのは遁辞ではないですか。見苦しい限りでありましょう(笑い)。

月餅くんいわく。
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>ケッペイは、今までの論旨を捨てたようであるな、大聖人の法門が密教であることは認めざるをえなかったようである。反論不能で、妄想に逃げ込むしかないようである。月餅の主張は当初から一貫している。「11月 1日(火)12時13分59秒」に、れいな板応援団のウソを糾弾して示したとおりである。再度掲示しておこう。************************************************14555.ついでに5名前:月餅    日付:7月29日(金) 7時41分>大聖人の仏法があきらかに密教を踏襲しているものであることから当然といえよう。「大聖人の仏法があきらかに密教を踏襲」?「踏襲」とは「前人のあとをそのまま受けつぐこと」(広辞苑)である。大聖人は密教をそのまま受けつぐようなことはされていない。「年ひさしくなれば、いよいよ真言の誑惑の根ふかくかくれて候いけり」(撰時抄)「天台座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其の主は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり」(報恩抄)「真言の大悪法」(頼基陳状)「物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり。然れば則ち真言を密と云うは隠密なり(中略)微密の密は法華なり」(真言見聞)大聖人はあくまでも大聖人の立場から、真言も開会して用いられるのであって、断じて「踏襲」ではない。真言の言葉や形式も、全て大聖人の立場によってその本質的意味を変えられたり、あるいはその「実」を「妙法の五字」によって顕すのである。「設い爾前の円を今の法華に開会し入るるとも、爾前の円は法華の一味となる事無し。法華の体内に開会し入れられても、体内の権と云われて実とは云わざるなり」(諸宗問答抄)「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばか(借)れども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば、有情の成仏、木画二像の本尊は有名無実なり。」(観心本尊抄)「一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(開目抄)***************************************************>さらにこの「ケッペイ創賊」は、おそらく、創賊の中でも「秀句十勝抄」を参照できるものは希であろうことを予測しておるのであろう。仲間の創賊へは、さもさも我々に反論をしているような体裁を繕っておることに哀れみを覚えるのである。(苦笑)、法太郎とは違い、月餅は「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いからの答えの全文をとっくに掲載したのである。法太郎は、悔しくて悔しくてたまらないのであろう。れいな板応援団でさえ内心は「御本尊様の当体が真言密教の印に相当しているとはいくらなんでも拡大飛躍の論理ではないかと思っていました」と吐露した。誤魔化しはどこまでも誤魔化しである。哀れ。無慚なり。
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 無慙なのはむしろ月餅くんでありましょう。ふたたび狂乱のように真言破折を持ち出していますが日蓮大聖人の秀句十勝抄により、また日達上人の御監修された松本佐一郎氏のご研究の発表により、御本尊の相貌には「印契」が備わっていることも諸法の根源である妙法にはむしろあたりまえのことと拝察されます。

 月餅くんは切り文にして本来の意味と違うようにスリカエルウソツキと拝されますね。
これはいままでの月餅くんの幼稚な議論もどきの全般にわたって見受けられるいちじるしい特徴です。

月餅くんいわく。
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>大聖人は、秀句十勝抄を引用し、伝教大師最澄が真言宗を破折した文証を、依憑天台集から引用しておるが、「日蓮疑って云はく」と大聖人が御指南された最澄の真言宗破折は「新来の真言家は筆受の相承を泯(ほろぼ)し、」で結論づけされており、この後段は華厳等の破折がなされておるのである。(苦笑)、>法華秀句は、諸宗が天台の法門を取り入れて、即ち、諸宗は天台に依って建立された法門なのであることを立証した文献である。その中に真言宗の一行が天台に準じて三諦の義を述べ、その内の相を述べた部分が、>「三相とは謂はく字と印と本尊となり。随つてその一を取るに一合の相是れなり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく」があるのである。「秀句十勝抄」をこれだけ議題にし、月餅が原文を提示してあげても、この男はまだこんなことを言っているのである。大聖人が「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いに対して、依憑天台集を引用されているのは「願くは同く一乗を見て、倶に合海に入らんことを(憑依の御言)」と最後までである。
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 また月餅くんはウソをついていますね。わたくしどもも新編御書をもっていますが、どうして真言の破折に華厳を破折しなければならないのですか?。

 日蓮大聖人が設定した諮問の第一段が真言破折であるいじょう真言破であり、華厳らの破折は真言破とはいえないでしょう。秀句十勝抄では日蓮大聖人は、諸宗破とともに諸宗が法華経に依っていることをあげられています。

 法太郎氏の論のように、真言を破すとともに真言が法華経に依った文証として一行の義釈があるわけですから、ここでも月餅くんはウソをついてスリカエに必死のようであります。

月餅くんいわく。
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「三相とは謂はく字と印と本尊となり。随つてその一を取るに一合の相是れなり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく」は、一行の「大日経疏」の言葉を依憑天台集が引用しているもので、大聖人はもう一つ一行の「大日経疏」の言葉を依憑天台集が引用しているもので示されているのが、「猶し天台の法身、般若、解脱の義の如し云云」である。これは指摘してきたように、一行が天台義を利用して大日如来に「法身、般若、解脱の義」があると立てた邪義である。そして、その後に続いて依憑天台集の次の部分を大聖人は引用されていく。「天竺の名僧大唐の天台の教迹、最も邪正を簡ぶに堪へたりと聞いて渇仰訪問する縁。法華文句の記の第十巻の末に云く「適、江准の四十余僧と往て台山を礼す。因つて不空三蔵の門人含光勅を奉けて、山に在つて修造するを見るに云く、不空三蔵と親りに天竺に遊ぶ。彼に僧あり。問て曰く、大唐に天台の教迹あり。最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪たり。能く之を訳して将て此の土に至らしむべきやと。豈に中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや。而も此の方に識ること有る少なり。魯人の如きのみ。故に徳を厚うし道に向う者、之を仰がざること莫し。敬んで願くは学者・行者、力に随つて称讃せよ応に知るべし、自行人を兼ね、並びに他典に異ることを。千年と五百と実に復今日に在り。南岳の叡聖・天台の明哲、昔は三業に住持し、今は二尊に紹係す、豈に止甘露を振旦に灑ぐのみならん。亦当に法鼓を天竺に震うべし。生知妙悟、魏・晋以来典籍風謡実に連類なしと」これは報恩抄にも取り上げられている部分である。「此の書は法相・三論・華厳・真言の四宗をせめて候文なり。天台・真言の二宗同一味ならば、いかでかせめ候べき。而も不空三蔵等をば魯人のごとしなんどかかれて候。善無畏・金剛智・不空の真言宗いみじくば、いかでか魯人と悪口あるべき。又天竺の真言が天台宗に同じきも、又勝れたるならば、天竺の名僧いかでか不空にあつらへ、中国に正法なしとはいうべき。」(報恩抄)つまり一行の「大日経疏」の言葉の引用部分は、依憑天台集の序の「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯じ」と、上の報恩抄指摘の部分の間にある。ここで整理しよう。大聖人の引用は次である。1.「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯じ」は真言宗破折の文。2.今問題となっている、一行の「大日経疏」からの「三相とは謂はく字と印と本尊となり。随つてその一を取るに一合の相是れなり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく」が含まれる部分3.一行の「大日経疏」からの「猶し天台の法身、般若、解脱の義の如し云云」は、大日如来に天台義を利用して一行が造った邪義。4.「魯人の如きのみ」等が含まれる部分で、真言宗破折の文。5.天台賛嘆の文これで、一行の「大日経疏」からの「三相とは謂はく字と印と本尊となり。随つてその一を取るに一合の相是れなり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく」の部分だけ肯定されているとするのは、論理的に無茶である。
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 ながながとウソツキをご苦労様です。またスリカエに必死ですね。日蓮大聖人が破折された諸宗は相待妙のうえから、その反対に絶待妙のうえからは、天台宗を真言の謗法におとしめた慈覚の言説さえ依用しいます。月餅くんはその一部、一部を狡猾に並べ替えて己義を捏造しているだけです。

月餅くんいわく。
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そして大聖人がこの部分を引用されているのは、この「秀句十勝抄」のみである。「秀句十勝抄」は、弟子への講義のためのテキスト教本のようなものであるが、日興上人は全くこの該当部分を引用されていないし、日興上人相伝と伝えられる書にも出て来ないのである。
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 日蓮大聖人の真筆でありなんら異存はありません。相伝をうけていない月餅くんが相伝にまで口をさしはさむことを謗法といいます。我々法華講員は相伝をうけた方に信伏随従して相伝を拝しています。この違いが正邪の違いでしょう。もちろんわれわれ法華講員は正しく相伝を拝し、御本尊七箇相承を否定している月餅くんが相伝を持ち出して述べられていないというのも大矛盾ですね。

月餅くんいわく。
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>真言宗の印の法門が備わって何の不足があるべしや。以下で示すが、オマエが言っていたのは「大聖人の御本尊が印である」である。誤魔化すな。
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 表現の違いの問題でしょう。松本氏は首題が印契であると発表され、監修された日達上人は允可されています。これに対し月餅くんは松本氏は「言っていない」とウソをつきましたね。

月餅くんいわく。
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更に、「真言宗の印の法門」としてではない。「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばか(借)れども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)>そのうえで「御本尊=印」であるなどとはまったく述べておらないのである。これはケッペイ創賊のスリカエ論議であり、妄想の産物である。(爆笑)、法太郎は、とうとう自分の言ったことを完全否定した。(大爆笑)今回もオマエはこう言っているではないか。オマエは日本語がわからないのか?>大聖人が御本尊を印とされた御書は後世に伝わっておる。即ち「秀句十勝抄」である。以下、法太郎が過去に言っていたものからである。**************************************>「お笑い月餅『チャンコロ劇場』を笑う、  投稿者: 法太郎  投稿日:10月 3日(月)19時40分3秒 」「即ち、このチャンコロ月餅は、私が以前に宿題として出してあった。大聖人の御本尊が印であると述べられているという御書の一節を、一週間以上も「御書索引」や、御書判を検索して発見出来ず、ついに私を越すことが出来なかったのである。」>「バカ月餅の妄乱を破す、(笑)、  投稿者: 法太郎  投稿日: 9月19日(月)20時40分3秒 」「そして、大聖人の御本尊がまさに「印」にあたることは御書に明白に説かれておるのである。」**************************************れいな板応援団もこう言っていたぞ。オマエはこれを訂正していない。**************************************>「循環論議の 反論不能の月餅くん。 投稿者: 横槍三助  投稿日: 9月22日(木)23時01分24秒 」「で、法の字がいってた御本尊は印であるという文証をまだ発見出来てないようです。御本尊はまさに印だった文証、自分は発見しました。法太郎氏の所論はまさに正しいものでした。日蓮聖人は三相を明かして文字と印と御本尊を一号の相だとゆってますよ。はてはて、一閻浮堤未曾有の大曼陀羅は密教でゆう印でした。」**************************************法太郎も、れいな板応援も「大聖人の御本尊が印である」「御本尊は印である」の大合唱ではないか。(無慚!)
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 御本尊が印であることは日蓮大聖人が「法華経には諸法実相の印あり」とのべられています(笑い)。

月餅くんいわく。
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>大聖人は印は枝葉として重く見られなかったということは真言宗の印行である。真言宗の印を軽視したうえで、大聖人が法華経の合掌印も軽視しておると述べるのであれば、ただのノータリンであることは確定である。(笑)、>大聖人は法華には「合掌」というれっきとした「印契」を御指南されておる。、さらにこの合掌印を重視されたことは門徒の重書である「御本尊三度相伝」に、御本尊の相伝とともに合掌の口伝が示されていることは既に述べた。「合掌」とは、相伝に値する重大な法門なのである。(苦笑)、やれやれ。第一に、「御本尊が合掌である」のではない。いくら「合掌」を取り上げても、「大聖人の御本尊が印である」ことにはならない。第二に、「合掌の印」については、何度も言っているように「真言の印」から採用されたのではない。これが大事だ。
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 また月餅くんは大ウソをついています。相当あわてふためいていますね(笑い)。

 前回まで印を否定してから印を重視してないに変わり、今回は真言の印ではないと論じていますが、このようなことは法太郎氏が論じていたものであり逃げ切れなくなった月餅くんが珍妙な論説にかわっていますよ。

月餅くんいわく。
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大聖人は、この法華経の「合掌の印」以外は、ご自身の行法に採用されていない。
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 ここで月餅くんは法太郎氏の論じた「合掌の印」を認めましたね(笑い)。

月餅くんいわく。
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「合掌の印」は、「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示されるのであり、「合掌」の意義は「真言宗のマンダラ観想法においての修行法においての印契」の意味とは違うのである。どう違うのか、よーく考えてみよ。仏教は本来は「念法」が目的であったが、歴史的には人間の思慕として「念仏」が隆盛し、「念仏」を経由しようとした。密教におけるマンダラ瞑想法も、時代や流派等によって様々であるが、基本としてあげられるのは、先ず仏などの諸尊像を観想によって描くことが挙げられる。たとえば「立川武蔵」氏の「浄土とマンダラ」では、「実践者はかの人格的存在のすがたを見る」とし、観想法に慣れていない者は「尊格の図像学的特徴を思い起こしながら、眼前に立つまだ未完成の仏の像にそれらの特徴を付け加えていき、やがて完成されたすがたを眼の前に想像するという手順を踏むことになろう」とし、ある程度の段階に至った観想者の場合は、「どれほど複雑なすがたの仏であったとしても仏の全体的すがたを瞬間的に見る、つまり、造り出してしまう」と説明する。「実際、マンダラ観想法では一般に仏を眼前に『呼び出す』場合、その仏の真言を唱え、その仏を象徴する印相を結ぶ」のであるが、「その仏の真言を唱え、その仏を象徴する印相を結ぶ」のは、「仏を眼前に呼び出す」ためである。そして、その仏と一体となることを目指すのである。これが今問題にしている一行の言っているものである。
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 違います。大ウソは辛いでしょうね。誰も真言宗のマンダラ義を述べてはいません。日蓮大聖人がどのように爾前の教義を踏襲され、また取り込んで事の妙法を確立されたかを論じているのです。松本氏は文化というものは前代を依用して新しいものが作られていくという比較文化論から述べているもので、月餅くんの論は論点をスリカエた誤魔化しものであります。
 

よくわからんが・・・

 投稿者:糟粕@宗教に関心を持とう  投稿日:2005年11月12日(土)21時28分31秒
返信・引用
  学会員及び法華講諸氏は・・・・・

「密教」という言葉をどのように定義付けているのであろうか?

後学のためにお教え願いたい。
 

月餅氏の完全敗北

 投稿者:傍観者  投稿日:2005年11月11日(金)20時50分23秒
返信・引用
  見苦しいあがきです。

創価学会の幼稚な論争手法の敗北でしょう。


月餅氏に聞きたい。

(1)日蓮大聖人の仏法が密教であることを認めますか?

(2)池田大作氏が妙法の蓮華に真言密教の胎蔵界曼陀羅を引用したことを認めますか?

(3)創価学会の教学部が宇宙法界の中心に真言宗の大日如来を据えたことは誤りですか?

(4)法華講の松本和道居士が妙曼を真言の曼陀羅を統一したものであるという発表を認めますか?

(5)創価学会員の月餅さん、あなたが、松本和道氏の所論を書き換えて引用したことは謀略
 と認められます。

 (苦笑)。
 

御法主日顕上人猊下御講義 [第41回 全国教師講習会の砌]

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月10日(木)21時44分23秒
返信・引用
  *平成四年八月二十八日
*於・総本山・大講堂


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昨年同様、本年も全国教師講習会における御法主日顕上人猊下の御講義を本誌に掲載させていただくことにいたしました。従来、全国講習会における御講義は、教師僧侶を対象にするものであるという性格上、本宗の機関誌であると同時に布教誌でもある本誌に掲載することはあまりありませんでした。

しかしながら、昨今、大謗法団体と化した創価学会は、その機関紙誌や怪文書、あるいは謗法の報道新聞等まで駆使して、御法主上人、宗門、僧侶を中傷誹謗し、あまつさえ当宗の根幹である大聖人以来の唯授一人血脈相承をも否定せんとする邪義を喧伝しております。

これに村し、宗門としても時局協議会等から文書が出され、それらの邪義を破折しておりますが、御法主上人におかれましては、唯授一人血脈相承をお承けあそばされるお立場から、本宗の僧俗のため、今般の全国教師講習会において、御相承の内容にまで触れられて御指南あそばされました。

宗内僧俗各位、読者諸賢におかれましては、信心をもって当御指南を熟読され、本宗の深義を再確認し、御法主上人のもとに一結して、謗法の徒輩に対する折伏逆化と、正法広宣流布の願業に向かって勇猛精進されることをお祈りいたします。

 (大日蓮・編集室)

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今年の教師講習会に当たりまして、何を講義したらよいかということを考えたときに、三年前に「十不二門」についてその半分ほどを講義いたしまして、残りは翌年に講義するということになっておりましたけれども、その後、毎年毎年、狂った邪義を立てる者が色々と出てきたために、それらに関することが主になって、そのままになってしまっておるということもあるのですが、

今年は、昨年の十一月二十八日に創価学会を破門し、また、つい先だって、池田大作を信徒除名処分に付したわけですから、やはり宗門の僧侶一人ひとりの肚に、過去・現在・未来を通じての創価学会問題、また、それに対しての心構えというようなことが大きく存することと思いますので、本年はそういった内容に関連したことについてお話しをしたほうがよいのではないかと考えたのです。

明日は、永栄義親房が、やはり創価学会の歴史その他に関して色々研究をし、皆さんにお話しをされるそうですから、あるいは色々と重複するところも出てくるかも知れませんが、しかし、見方や考え方も色々とありますので、私は私なりに今日の我々が考えなければならない問題を一分ずつ取り上げて考えてみたいと思う次第であります。
 

呆太郎 様

 投稿者:フリテン  投稿日:2005年11月 9日(水)22時46分47秒
返信・引用
  今晩は、再びのレスありがとうございます。ボクのごとき浅学のものにレス、恐縮しています。
月餅氏との法論、呆太郎 様の碩学には驚いています。ご健闘をお祈り致します。

北海道はかなり冷え込んできてると思いますが、お体ご自愛なさってご活躍くださいませ
また問い合わせするかも知れませんがその時は宜しくお願い致します。では
 

合掌の口伝

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月 9日(水)21時01分12秒
返信・引用
  ありました。


「本尊三度相伝」

(富士宗学要集 一巻 相伝信条部 38P)

合掌の口伝、

三種の合掌之れ在り、経に云く合掌し敬心を以つて具足の道を聞かんと欲す(文)、
天台云く手に経巻を取らざれども菩提掌に在り口に言声せざれども万徳舌上に備る、
妙楽の云く若し此の意を得ば掌果を観るが如し法華の一部方寸知んぬ可しと。
 

富士門徒の沿革と教義

 投稿者:横槍  投稿日:2005年11月 9日(水)20時51分54秒
返信・引用
  【富士門徒の沿革と教義】(299P)

曾て家永博士が口唱題目は念仏宗のまねだと『中世仏教思想史』で発表して、山川博士に『信心』誌上で猛烈な反撃を食ったことがある。この時山川博士は口唱題目は称名とちがふ。何も法然義を用ひないでも、法華経からも出て来るし、天台宗にも先例が有るという論法をとられたものであったが、卑見によれば両博士とも少々見当がちがってゐた。

後から出て来る文化が前に出た文化の形を利用するのは文化史の常道であって、早い話が今も御料馬車に見られる昔の座席形式が、今の一等Aコンパートに残ってゐたり、旗竿の先に槍がついてゐたりするのと同じで、

日蓮聖人が法門を新しく建立するのに古い形式を遠慮会釈なく利用されたのは、何も盗用呼ばはりして目くじらを立てる程の事ではなく、釈尊も外道に対してなさったものだし、又、家永博士に言はせると盗用の被害者だった筈の法然和尚が、天台宗に対しては逆に利用しているのだから、山川博士も家永氏が文化史のクセを忘れた所を寧ろ突くべきだったのであり、題目は法華経から出たとてふ、極めて当たり前なことを事新しく論じた所で、家永博士の急所を突いた事にはならなかったのだ。

さて聖人が諸宗の形式を利用なさったのは沢山ある。家永氏の所論は法華を良く御存知なくて展開された為の無理もあるが、利用された形式を指摘した点に於ては概ね正しい。また律宗からも逆に引繰返して末法無戒、又は但信授戒の無形式たる金剛宝器戒が立てられ、更に本門戒壇に至っては律宗の戒を遥に超克する。そしてこれも天台宗の国立戒壇思想の展開だ。服装などの化儀は大体天台宗に準じたが、純色のような高僧衣は用ひず、薄墨が上古の風だったらしい。地引御書によれ(ば)延年の舞いも行はれたといふ。


●なるほど。これが仏教学からの見方。
 

麻畝広布さま

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 9日(水)19時52分59秒
返信・引用
  >学会の連中の新たなる邪説
>彼らは「己心中の本尊」とやらを自分で拝んで仏界を涌現して成仏していけるようですね。
>まるで禅宗のような発想です。
>創価禅宗と改名した方がいいですね!



 己心の本尊を拝むのであれば、首題の南無妙法蓮華経の直下に
学会員それぞれの名前を書くべき意義が出てきます。

 日寛上人の御本尊をモチーフにしたニセ本尊を拝みながら
自身の己心の本尊といっているのですから無知蒙昧というべきでしょうね。
 

日達上人、如説修行抄講義

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 9日(水)19時46分59秒
返信・引用
  昭和36年3月10日

[如説修行抄講義]

これは、もっと分かりやすくいえば因果です。因果の関係をみれば分かりますね。困と果というものは、皆さまは因があって果が段々出てくるとこう考える。そうじやない。それは、一往はそうなんです。因があって果が出てくる。ところが、果からみるときは、果があって、はじめて因がある。果が先で因がある。こういう見方があるでしょう。

ところが、因も果も、前後があるもんじゃない。果があるときには、すでにぜんぷ因がそなわっているから果がある。因があれば必ず果が具わっているから果がある。ここに根幹がある。これが大事なんですね。因も果も倶時である。蓮華というものは倶時である。花が先だとかいうんじゃなくて、実も花も一体であるときには、すでに働きがあるんだ、これが大事なんですね。これが、この妙法の一番大事なところなんですね。

だから、妙法は爾前経がやめて法華経ができたんだというんじゃない。ふつうはそう考えている。四十余年の権教を捨てて法華経を説かれたんだと。それから法華経が説かれたから四十余年の経が権経になったんだと、こうされているでしょ、そうじやない。もう、法華経が説かれたときには、四十余年の経はもう消えちゃっているんです、もうないんです。もう法華経にきたら四十余年の経も、すなわち法華経のうちに、元来すんじゃっているんです。法華経ですんでるものを、衆生済度のために、ちょっと見せただけなんです。影のように見せたに過ぎない。

ほんとは、そういうものはないんです。だから、そこに法華経というものが一回しかない。久遠の本仏はただひとつ、その久遠の本仏の法は、ただ法華経である。それ以外になんにもないんだ。ただ衆生を化導するために、影となって人びとに見せた。観音さんもなけれは、阿弥陀さんもない。三世十方の仏といっても、実際はなにもないんだ。ただ久遠の本仏が衆生を化導するがゆえに、沢山の仏に見せた、影に過ぎないのである。こうなってくると、はっきり分かる。



 日達上人の御説法は簡にして要、易にして明。

 もう解釈の必要はないでしょう。諸宗の依経である権教といい、

 諸仏といってもそのようなものは本来存在しないのである。

 諸宗といい権教といい爾前経といってもすべて法華経の一部であり影(迹)で
 あるということです。
 

学会の連中の新たなる邪説

 投稿者:麻畝広布  投稿日:2005年11月 8日(火)22時39分24秒
返信・引用
  彼らは「己心中の本尊」とやらを自分で拝んで仏界を涌現して成仏していけるようですね。まるで禅宗のような発想です。

創価禅宗と改名した方がいいですね!
 

れいな会長の写真はすてきです。

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 8日(火)22時11分58秒
返信・引用 編集済
  ときどきアップしてくれる旅行の記念写真は
自然の風景写真がおおいですね。
こんなやさしい風景をみるとほっとします。

武蔵某弁慶のお墓が自然石であるとはラシイものごとですね。
大河ドラマのせいで参拝者がふえているでしょうね。
さいきんは落ち葉狩りもいっていなかった。
こんどは奥多摩にでも行ってみよう(^^/。
 

質問

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 8日(火)22時06分12秒
返信・引用
  >新しい「聖教新聞社刊」は、もっと都合の悪い部分は削除されていると、
>比較した正信会のガミ公が云っていたので事実でしょう。

正信会の人物ということですが、これではどのような背景があったのか
わかりずらいので理論的な詳細が知りたいものです。
ガミ公という人物は実在なのかさえわかりません。
正信会の教学の研究者として有名に人なのでしょうか。
その人物の発言は参考になるのでしょうか。
 

フリテンさんへ、

 投稿者:呆太郎メール  投稿日:2005年11月 8日(火)21時15分19秒
返信・引用
  >富士宗学要集第九巻のアップありがとうございます。
>お手数をおかけし申し訳ありませんでした。

YHA!YHA!、こちらこそ、遅くなってすんませんでした。(^^;、


なんせ、北海道は今の時期は「繁忙期」で、この時期に稼がなければ稼ぐときが
ないという現状・・・ま、むかしからですが・・・。


読者のみなさまへ、突然富士宗学要集の史料をアップしたので前後の事情が理解出来なかったと思いますが、フリテンさんからつぎのようなメールをいただいていました。

****************************************************************
「標記の昭和32年に発刊された、『富士宗学要集』(堀日亨上人編)第九巻についてもし
ご存知でしたらお教えお願い致します。この九巻の「富要集・法難編」の序文要旨に

「650年の間にあった法難の歴史は徐々門徒に忘れ去られてしまっている、今までの辛
苦が報われないのでは、信仰の活発な展開はないのではないかと思っている。法難とは、
外からの告発からはじまり、内側からの裏切り者によって権力の横暴を招くという傾向が
多い。本編の13章は皆そうである。しかし、民主主義の現代(自由で安全な社会)にお
いては、法難は夢物語となってしまっている。
そうであるが、安泰の生活に流れる信心は、知らず知らずに堕落していくだけである。太
平洋戦争は生活を覚醒したが、信仰を貫くという点においてはいかなる影響があるのだろ
うか。
門徒の能動的な努力を要するところではあるが、創価学会の法難によって、信行が大聖
人、日興上人の時代に帰った現状を思えば、広宣流布の大願の成就は近づいてきたとの思
いが涌いてくるのである。」

またこれもこのように書かれているでしょうか

「顧みるに法難の起こる時、必ず外(宗外)に反対宗門の針小棒大告発ありて其の発端を
発し、内(宗内)に世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の門徒ありて、
(内外の)両面より官憲の横暴を徴発するの傾き多し。本編に列する十余章(の法難も)
皆、然らざるはなし」

「昭和の始より起りし牧口常三郎戸田城聖の創価学会が俄に法運を回復せしが却つて非時
の国憲に触れ、同十八年の法難を惹起せし悲惨事ありしも、宗祖開山の聖代に還れる信行
両全の現状を念へば広布の大願成就に近づくが如き念ひが湧く。」

以上は学会版に書かれているものです。
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※いじょうですが、私の所持している要集は、昭和五十年代の「創価学会出版」のもので、現在は「聖教新聞社出版」となつているようです。

私の昭和版も、じつは、創賊に都合の悪い部分は削除されているのです。この法難篇の執筆者である当時の創価学会教学部長の小平芳平氏は、戸田城聖の手紙を初版の要集に掲載しましたが、戸田城聖が、「昨年、法の師をそしった罪を受けています(趣意)」と、戸田城聖が日淳上人にあてた手紙は削除されているのです。

新しい「聖教新聞社刊」は、もっと都合の悪い部分は削除されていると、比較した正信会のガミ公が云っていたので事実でしょう。

上記にある「要旨」は、現在の聖教新聞社刊のものと思われますが、本来研究書の要集にはそぐわないものであることは云うまでもない。
 

創賊・「ちゃんころケッペイ」の無智無能を笑う、

 投稿者:呆太郎メール  投稿日:2005年11月 8日(火)21時04分7秒
返信・引用 編集済
  創賊のちゃんころケッペイが脳乱して云く、(笑)、
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餅の現時点までの指摘は以下である。
1.『秀句十勝抄』の意図を無視してはならない。『秀句十勝抄』では、「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いを立て、『依憑集』の引用によって回答が為されている。その部分に「依憑集」が引用する該当の一行の「大日経疏」の言葉がある。『秀句十勝抄』の意図を全く離れて正反対の肯定の依文にするのであれば、大聖人に同文を引用されて「大聖人の御本尊は印である」と示される事例が無くてはならない。
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、笑うではないか。(笑)、

ケッペイは、今までの論旨を捨てたようであるな、大聖人の法門が密教であることは認めざるをえなかったようである。さらにこの「ケッペイ創賊」は、おそらく、創賊の中でも「秀句十勝抄」を参照できるものは希であろうことを予測しておるのであろう。仲間の創賊へは、さもさも我々に反論をしているような体裁を繕っておることに哀れみを覚えるのである。(苦笑)、


大聖人は、秀句十勝抄を引用し、伝教大師最澄が真言宗を破折した文証を、依憑天台集から引用しておるが、「日蓮疑って云はく」と大聖人が御指南された最澄の真言宗破折は「新来の真言家は筆受の相承を泯(ほろぼ)し、」で結論づけされており、この後段は華厳等の破折がなされておるのである。(苦笑)、

法華秀句は、諸宗が天台の法門を取り入れて、即ち、諸宗は天台に依って建立された法門なのであることを立証した文献である。その中に真言宗の一行が天台に準じて三諦の義を述べ、その内の相を述べた部分が、

「三相とは謂はく字と印と本尊となり。随つてその一を取るに一合の相是れなり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく」

があるのである。ケッペイ創賊がノータリンなことを云っておる。即ち、「大聖人に同文を引用されて「大聖人の御本尊は印である」と示される事例が無くてはならない。」と。(笑)、妙法には一切森羅万象の諸法が備わっておることを指して「円融円満」と云うのである。真言宗の印の法門が備わって何の不足があるべしや。(苦笑)、(ー後述ー)


創賊のチャンコロ月餅なる痴犬が脳乱して云く、(笑)、
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2.印契について、大聖人は諸御書にはっきり枝葉であるとされている。また、「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)とまで断言されている。一箇所だけ『真言見聞』に法華経には「合掌の印あり」とされているが、その前に印契は枝葉であるとされた上であり、「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示される。大聖人は諸御書では、法華経に印契は説かれていない、あるいは略されたとして展開され、それは枝葉だからであると繰り返し言われている。何よりも「合掌」が、「大聖人の御本尊は印である」では無いことは明らかである。合掌に意義を持つことと、「御本尊は合掌である」とはぜんぜん違うことであるのは、簡単な道理である。
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、(笑)、

ケッペイ創賊はかなり脳乱しておるようである。(※悩乱ではない、確実に脳乱である)、大聖人は印は枝葉として重く見られなかったということは真言宗の印行である。真言宗の印を軽視したうえで、大聖人が法華経の合掌印も軽視しておると述べるのであれば、ただのノータリンであることは確定である。(笑)、

そもそもである。「合掌=印」とは大聖人の御指南に基づいて述べたが、そのうえで「御本尊=印」であるなどとはまったく述べておらないのである。これはケッペイ創賊のスリカエ論議であり、妄想の産物である。(爆笑)、

ケッペイ創賊は、印を枝葉とし、法華経の合掌印を真言宗と混乱して軽視しておるというが、相伝の重書である「御本尊三度相伝」に、「合掌の口伝」があることを知らないのであろう。(苦笑)、

また、ケッペイ創賊は、色法と心法の相関性も理解出来ていないのであるが合掌印についての御妙判(御義口伝)は既に明示した。


創賊のチャンコロ月餅なる痴犬が脳乱して云く、(笑)、
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3.該当の一行の『大日経疏』の引用が大聖人の御書には他に全く無く、「大聖人の御本尊は印である」との重大な義の依文ならばこの文について肯定されたものがあるはずである。
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、(笑)、

大聖人の妙法大曼陀羅に印が備わっておることは私ども真正の信徒においても重大なものではない。森羅万象の諸法の悉くが妙法に本然的に備わっておることを理解出来ておる教学者であれば理解出来る範囲のものであろう。(笑)、

さらに、御本尊の内証は唯授一人の相伝の方の内証に受け継がれるものであり、私ども信徒は信受するのみである。ましてや不相伝の創賊の徒輩には、御本尊の真義などまったく無縁のものである。(苦笑)、


創賊のチャンコロ月餅なる痴犬が脳乱して云く、(笑)、
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4.該当の引用は歴代にも見あたらず、ましてこれを依文として「大聖人の御本尊は印である」とは誰も言っていない。『秀句十勝抄』は弟子への講義のためのもであることがわかっているが、該当の文を「大聖人の御本尊は印である」との説明が大聖人からあればそれが後世に伝わるはずである。日興上人の著作・日興上人によると伝わるものにも全く現れない。以上のことをこれまで指摘したのである。しかもなお、議論が煩瑣にならないように以上にまだ絞っているのであるが、れいな板はたったこれだけの論点も把握できないのか。
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、(笑)、

論点を絞ることで、これ以前のケッペイ創賊のチャンコロ教学を無かったことにしようなどとはお粗末極まりない遁走であろう。(苦笑)、

大聖人が御本尊を印とされた御書は後世に伝わっておる。即ち「秀句十勝抄」である。この中で説かれた当該箇所の意は近代の史学者である松本和道居士が論じており日達上人も認めておられる。(ー後述ー)

創賊のチャンコロ月餅なる痴犬が脳乱して云く、(笑)、
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今該当の一行の『大日経疏』のものは、肯定して提示された事例が無いと言っているのである。ワカリマスカ?
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、(笑)、バカよ、何度も云った。秀句十勝抄の真筆は現在に伝わっておる。これと同じ事例に御義口伝の慈覚を文証として例証とした。(爆笑)、これはケッペイ創賊がどんな遁辞を構えてもただ一カ所の慈覚引用の例であり、大聖人の御指南なのである。(苦笑)、


創賊のチャンコロ月餅なる痴犬が脳乱して云く、(笑)、
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理論的に違うことではないか。>日達上人のご説法にそのものがあるとは重要な指摘です。別掲示に破折した。「印契」との違いぐらい理解しなさい。
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※最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、(笑)、

オマエだ、バカよ。(爆笑)、大聖人は法華には「合掌」というれっきとした「印契」を御指南されておる。、さらにこの合掌印を重視されたことは門徒の重書である「御本尊三度相伝」に、御本尊の相伝とともに合掌の口伝が示されていることは既に述べた。「合掌」とは、相伝に値する重大な法門なのである。(苦笑)、



※さて、さて、ここで近代日蓮正宗教学に燦然たる金字塔を建てた常泉寺の法華講員であり史学者であった松本佐一郎(和道居士)氏の「富士門徒の沿革と教義」を見てみよう。これは日達上人が御監修され、ただ一文字「解」と賜った異例の専門書である。


ケッペイ創賊は以前に松本和道居士の富士門徒の沿革と教義の一部を抜き出して、「松本氏はそのようなことはいっていない」と虚言を提示していた。ケッペイ創賊が挙げた松本和道居士の一節は以下である。

「権田大僧正が日蓮の曼陀羅は胎曼なりと言はれたのも故無しとしない。但し、師が天照八幡を入れたのがその特徴だとしたのは、当たってはゐるが、マダ不足なるを覚える。」

であるが、ケッペイ創賊は都合の悪い文証は切り文にして本来の述者の意向を別なものに書き換える「己義法門」を構築するノータリンであることを示す。(笑)、この段は、

「華厳で理の上に説かれた心仏衆生無差別の法門を、本尊と唱題といふ事行の上に展開して来るので、ここまでは通大乗の一切衆生悉有仏性説や、天台の無作三身、真言の大日如来などと共通の部分のある法門で、唯、理観歴劫修行の難道を転じて事行の信解脱を奨め、無作三身を実際の御本尊の上に建立し、大日の此土無縁の理観、金胎両部二千尊の複雑を約して一大曼陀羅に統一し、此土有縁の本仏を立てた所はちがふと言って良いが、これまでの処では諸宗と似た所もある。権田大僧正が日蓮の曼陀羅は胎曼なりと言はれたのも故無しとしない。但し、師が天照八幡を入れたのがその特徴だとしたのは、当たってはゐるが、マダ不足なるを覚える。」
(富士門徒の沿革と教義・280頁)

であり、松本和道居士は妙法大曼陀羅には「華厳」「天台」「真言」の教義が含まれておることを述べ、真言宗の権田氏の言を紹介されておるが、御本尊には印が説かれてあると表記した段とは別節なのである。松本和道居士はこの一段の後段で、

「かういう傾向の中へ真言宗関係が入りこまない筈はない。事実妙曼(妙法大曼陀羅)を真言宗の胎曼(胎蔵界曼陀羅)だと権田大僧正が言ってゐる。もっとも真言では両界曼陀羅だが、強いて真言の線で解釈すれば金剛界の大日如来は首題にあたり、胎蔵界の大日如来は御判名に当るから、妙曼は金胎統一の曼陀羅だといふことができよう。明王は法華経の文上には一切出て来ない。ここに日蓮宗(大聖人を派祖とするすべての教派)の真言宗に対する「囲ひ込み」を見ることができる。」
(富士門徒の沿革と教義・301頁)

と述べられ、


「このように真言宗の法門が妙曼に取り入れられてゐるとすると、あの大三角形も一切知印の巧用ではないかといふ推定が生まれてくる。一切知印は諸仏化他の徳を生ずる大勇猛等の菩薩、仏母を眷属とし、卍は平等無礙周遍法界の義を表す。といふのだから妙曼に化他の徳を生ずる地涌四大士を眷属とする大三角形としてあらはされてゐる中尊は、即ちこれ真実文底の一切知印であらう。史料が無いのでこれも義推だが、立正大学の研究発表大会でこの説を出したが一つも文句が出ず、却って木村日紀博士にほめられたので、当らずとするも遠からずであらうと思ふ。こんな義推法門を発表するのは私の分際には過ぎた事だと思ふが、今は所見を記して清雅の高鑑に俟つ。」
(同頁)

と述べておるのである。この、松本和道居士の研究は日達上人が監修され、「解」の一文字を与えられていることからも正しいものである。しかも、立正大学の学会で発表され認証されたのであるから通仏教においても承認されたと捉えてもよいであろう。

立正大学の仏教学部といえば「宗学科」が有名で単称日蓮宗の出家関係者の子弟等が学んでいることは知られているが、「仏教学科」もあり、松本和道居士がどちらの場で発表されたのか判然としないが、通仏教の権威的方面から肯定されたことは注目すべきであろう。

ケッペイ創賊がキャンキャン吠えておる、このような重大なことが何故?歴代の上人等によって説かれておらないのかという痴難は、このようなことは問題にすべき事柄ではないからである。(爆笑)

私も問題にしておらん、本因妙抄に大聖人の仏法(当家)は「秘密観心」であると述べられて大聖人の法門は密教であることや、御本尊に印が備わっておることなどは、ことさら問題にすべき事柄ではなかろう。

松本和道居士が心情を吐露されておる一節がある、「こんな義推法門を発表するのは私の分際には過ぎた事だと思ふが云々」の部分は在家や、相承の無いものが大曼陀羅という、大聖人のご法門の根幹を論じることは本来的には誤りであり、私もとやかく論じることは無い。が、邪教のノータリンが云々してくるいじょう、破折すべきために論じておるのであり法華折伏破権門理の実践であり、それ以上ではない。

松本和道居士は、日淳上人からも御本尊研究の許可をうけ、門外不出の大石寺関係の御本尊写真の提供もうけた碩学である。そのような学者でさえ御本尊に関する発表は「その分際に過ぎた」という謙譲の態度でなければならない。ましてや私ども在家の学徒が思いつきで御本尊を云々することは断じてあってはならないものである。

私が邪教創賊の徒輩と本尊義において議論するのは、既に公に発表された範囲において、唯授一人の血脈相伝の権威に対し、信伏随従の立場において、先師・先徳の指南に基づいての範囲であることを述べておく。

さらに、密教の「印」に関しては、仏には必ず必随する相であることも云っておこう。日興上人の御指南を日順師が書き留めた「五人所破抄」に、

「日興が云はく、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依って異を弁ず。如来の本迹は測り難きも眷属を以て之を知る。所以に小乗三蔵の教主は迦葉阿難を脇士と為し、伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一体の形像豈頭陀の応身に非ずや。凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず。倩聖人出世の本懐を尋ぬれば、源権実已過の化導を改め、上行所伝の乗戒を弘めんが為なり。図する所の本尊は亦正像二千年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり。今に当たっては迹化の教主既に益無し、況んや々婆和の拙仏をや。次に隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ云云。」

一念三千の本仏を三十二相八十種好の尊形の色法像で表すことは困難である。しかし本因妙の教主は本果妙であることも事実である。日寛上人は「抜書雑雑集」において明確に、日蓮大聖人は本果妙、日興上人は本因妙と位置づけられている。

無作三身の本仏は示同凡夫である。が内証本果から、下種結縁に漏れた衆生の救済にあたる随他のうえでは尊形を前面に出したお姿で化導にあたる。即ち迹面本裏であるが仏位によってそれぞれに印契があることは仏教の常識である。

日興上人は強執の一機に対し、四菩薩を脇士とした久遠実成の釈尊像を認めておられたが色法像の釈尊が、右手の掌をひろげ肘を曲げて胸の前に置き、左手は掌を仰向けて左足の膝の上におく。これが「施無畏印(右手)」と「与願印(左手)」で、諸仏によって決まっているものである。

これが、日興上人の云われている「日興が云はく、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依って異を弁ず」ということである。ただし、「印契」または「印相」たんに「印」とは、純粋に仏教起源である。


おそらく、法華講員の中でも通仏教を研鑽していない方々には少し驚かれた内容と思うが、これが外用・内証の双方から論じた大聖人の御法門の格子である。が、これが全てと思ってはならないであろう。

大聖人の仏法は師弟子を糺す仏法であり極理の師伝なき浮薄の徒輩の及ぶところではない。今回ケッペイ創賊が噛みついてきた密教義と御本尊義は極理の師伝の無い仏教界の浮き草である創賊の脳乱教義が招いた無知蒙昧の痴難である。

自我意識の強いこのケッペイ創賊なる妄乱は、創賊のお得意である「褒め殺し」におだてられ、舞い上がって「己義荘厳」に拍車がかかった大狂乱であった。(苦笑)、
 

日蓮正宗、教義拝考

 投稿者:呆太郎メール  投稿日:2005年11月 8日(火)20時08分50秒
返信・引用 編集済
  ※ここで、執行海秀氏の指摘した問題点を検証してみたい。


①執行海秀氏は「富士門流教学」といえば大石寺門流の教学を指すと云っているがこれは正しいが不足している。

②執行海秀氏は大石寺門流では天台教学を迹門とし、日蓮教学(大石寺門流の)を本門としていると述べているが、これは正しいが不足している。

③執行海秀氏は大石寺門流では通仏教の釈尊を否定して「密教の世界」を認めこれを久遠元初としている、というが、これは正しいが不足している。

④執行海秀氏は、大石寺門流の教学では、末法では釈尊も天台も白法穏没であり「下種」の題目のみが存在意義を用する、と云っているがこれは正しいが、不足している。


※いじょうは、身延派の碩学である執行海秀氏が述べた外用の一辺であるが、その見方には重大な意義が存していることを、執行海秀氏は気が付かないでいるので、「不足している」と「註意」を付加した。


もとより、私ごとき駆け出しの在家初心者が、仏教学の権威として知られている立正大学の執行海秀教授と対等の論議が出来るものではない、しかし、私は麒麟(大石寺)の驥尾に付した「蒼蠅」であり、大木にからみついたツタであり、立正安国論に述べられた「付随」であり、なによりも永遠に学び続けたい「学徒」であることを自認している。・・・学ぶ・・・成仏出来ない「声聞」の世界だナ。(笑)、


執行海秀氏の教学は印度応誕の釈尊が仏教の派祖であり、大聖人が御自身でいかなる宗の祖にもあらず、いかなる宗の末流にもあらずを引用しているが、その解釈は的を射ていない。

大聖人が宗教じょうの宗派の祖ではないということは、仏教の始祖である教主釈尊の直系(直受相承)であるが故に途中で派生した途中の宗派の祖師ではない、と御指南されているのである。

また、仏教の始祖である釈尊の末流ではない、ということは、印度応誕の教主釈尊は、法華経の本門で説かれる久遠実成の釈尊であるが、久遠実成といえども成仏した始点があるわけである、これは「有始無終」であるいじょう「無始無終」という永遠性の思想には劣ることはいうまでもない。

そこで、釈尊が成仏した教法の存在とはなにかということを思考せねばならないであろう。その教法によって示される「法」こそ、悟り得たものだけが知れる永遠なる輝ける世界なのである、これを仏教用語で「常寂光土」といい、「久遠元初」と示される世界なのである。


[日本仏教の誕生=日蓮大聖人]

執行海秀氏はここで通仏教のうえから重要な指摘をしていることに留意すべきである。

①富士門流の教学といえば大石寺門流の教学が中心であるということ。これは「日蓮本仏論」が中心思想であることはいうまでもない。

②大石寺門流の教学は密教であると指摘していること。これは、「文底」という開目鈔の御文を重視しなければならないことに執行海秀氏の日蓮宗がまつたくその重要性に気付いておらないものである。

③大石寺門流では通仏教を否定して新仏教を立てていると指摘していてその重要性にまったく気付いておらないこと。大聖人の仏法は三国四師の外用の辺にもあり、御自身を地涌上行の再誕であると御指南されていることは日蓮宗でも認めているものである。

これは通仏教を肯定したうえで述べられたのであり仏教の否定にはならない。更に上行再誕法門のうえに文底を立て、上行の本地は久遠元初の自受用報身であると論ずることは、正像末の三時にわたる五綱の教義によるものであり、執行海秀氏はこの基本事項ですら忘失しているといわざるをえないのである。

さらに云えば、日本仏教は中国仏教の亜流といわれ、中国仏教から派生したものと捉えられがちだが、文底仏教を取り出した時点で「日本仏教」が誕生したという重大性にはまったく気付いておらない、もしくは入り込めないというべきである。

日蓮宗の学者の中には大聖人の仏法の中心は天台教学であり、これを取り去ると残るのは「三大秘法」くらいであると、大聖人の仏法の根幹の重要性すら理解出来ていない学者がいる。

日本天台宗から「別名天台」といわれ、叡山の塔中に坊を貰って得々としている情けない姿は日蓮宗の派祖の資質によるものであろうか。

ここで、我が祖日興上人は、弘教の当初から他の五老僧と違い「日蓮聖人の弟子」を名乗り、鮮明に日蓮本仏論を顕わしてきたのである。天台の弟子を名乗った五老僧は(後には四老僧=日頂師は興尊に帰依)その悪癖からついに大聖人の真意を知ることが出来なかったのである。

これは、日興上人こそ大聖人より唯授一人の血脈相伝を受け、摘々連綿として大石寺門流のみに大聖人の正義が相伝されてきたからである。

通仏教のうえから勝れた知性のもとに教義を指摘しておきながら、勝法に入れないのはまさに謗法の発露というべきであろう。

(了)
 

武蔵坊弁慶の墓

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月 7日(月)23時32分37秒
返信・引用
  平泉 武蔵坊弁慶の墓

11月7日撮影

http://www.geocities.jp/mksutra/yumitani.html

 

紅葉真っ最中

 投稿者:れいな  投稿日:2005年11月 7日(月)23時30分34秒
返信・引用
  平泉中尊寺の紅葉

11月7日撮影

http://www.geocities.jp/mksutra/yumitani.html

 

(無題)

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 7日(月)22時09分27秒
返信・引用 編集済
  >創価では日蓮大聖人を「末法の御本仏」といっていた。
>日達上人の御指南をみれば「久遠の本仏」という表現が強い。
>この違いはなんだろうね。


 末法即久遠、ということで。

 機に約して末法。本質は無始無終の久遠。

 じゃないかね。
 

日達上人御指南抄

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 7日(月)22時03分15秒
返信・引用 編集済
   ◆◆◆ 臨 終 ◆◆◆

日蓮大聖人は臨終の一念に成仏はありとし、その臨終の一念は常日頃の行功によることをお教えになっております。あの熱原の三烈士が首を切られる時に、平然とお題目を唱えておられた姿が即身成仏の真の姿であります。いま臨終という時、お題目を唱えられないのは不断の信心修行がたらない結果であります。

我々大聖人の弟子檀那は大いに心していかなければなりません。法華講が一層発展拡大して行くのは、各々講員の不断に努力する信心によるのでありますから、己が内心に省みて謗法のないことを知って更に信行に精進して頂きたいのであります。
(年頭の辞 S42・1・1)

 ◆ ◆ ◆

私も常在寺の住職をやっていた時分に、よくお弔いに行きましたが、なんだか知らないけれど始めからわあわあ泣いているのだか騒いでいるんだかわからない時がありましたが、あれはよくないですね。

臨終の時にそういうことをしちゃよくない。泣く涙があるのなら、お題目を唱えればいい。ただ大きな声を出すだけです。そういうふうにして乱すということがよくないということが説いております。

そういうことも、我々はよく考えなきゃならん。これは今死ぬ話をすることは嫌かも知れませんけれども、誰でも死ぬのだし、また年をとった人はあるんだから、よく心得て、心静かにお題目を唱えてやる。たとえば、本人が色々過去のことで、病気の人もあるし、身体の苦しい人もあります。

その時はよくいい聞かせて、お題目を唱えなさい、自分も唱える、その人にも唱えて、本当の臨終をせしめるということが大事なことですね。
(興福寺板本尊入仏式の砌 S40・3・18)

 ◆ ◆ ◆

我々は臨終ということが大切であると常に言われております。臨終のときに常々の信心のない人が、なぜお題目が出るか、出る訳がないでしょう。ああ腹が痛い、どこが痛いといいながら、死んでしまってはおしまいです。

やはり信心の心を常に持っておれば、いかなる危険なときでも、いかなる恐ろしいときでも、自然とお題目の声が出てくる。それが信心であります。その信心の心こそ絶やしてはいけないのであります。
(法華溝婦人部第一回決起大会の砌 S53・9・27)

 ◆ ◆ ◆

何もしないでいて、死んでから仏様になると思ったら大変な間違いである。やはりそれだけの修行がいる。死んだ時仏になるかならないかということは臨終の一念にありと大聖人様はおっしゃっておる。臨終の一念とは南無妙法蓮華経である。

ところが何もしないで死ぬ時だけ題目を唱えればいいと思ったんでは、大きな間違いである。その臨終の一念は普段の修行にあると大聖人様はちゃんとおっしゃっておる。だから普段、南無妙法蓮華経と唱えれば、臨終の時、またどんな大難が来てもちゃんと題目が唱えられる。もしそこで死ぬならば、それは安祥として死ぬこともできるし、そこが大事なんです。
(世尊寺移転新築落成の砌 S48・12・19)
 

素朴な疑問

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 6日(日)21時18分8秒
返信・引用
  創価では日蓮大聖人を「末法の御本仏」といっていた。

日達上人の御指南をみれば「久遠の本仏」という表現が強い。

この違いはなんだろうね。
 

日達上人御指南抄

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 6日(日)20時06分26秒
返信・引用
   ◆◆◆ 本仏論 ◆◆◆


宗祖大聖人はこの末法の仏として久遠本仏、そのままの仏として出現せられておるのでごぎいます。だから宗祖は我々凡夫と少しも変りはない。釈尊は仏となったところの姿を表わしておる。だから釈尊の像を見て御覧なさい。立派な三十二相八十種好を備えた金ぴかな仏様であります。

大聖人様のお姿は客殿正面にある通り、向って左にましますのが大聖人様のお姿。右が日興上人のお姿。我々凡夫と少しも変わっていない。これはすなわち凡夫僧である。凡夫即仏である。我々凡夫と同じ姿で出現し、凡夫としてこの世にお題目を唱え、久遠からお持ちの妙法蓮華経を自ら唱えて、人々にも唱えせしめる。あらゆる仏の功徳をこの妙法蓮華経に備え、これを唱える者が自然と仏の功徳を頂戴する。それが大聖人様の教えであります。
(衆和会勤行会の初 S49・1・1)

 ◆ ◆ ◆


末法という時代は、大聖人が『教行証御書』に、

「今末法に入ては教のみ有って行証無く在世結縁の者一人も無く、権実の二機悉く失せり。此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」

と説かれる如く、〝教″があっても、それによって悟りを開く人は一人もないということになってしまいます。その人々を救うためには、久遠の本仏が出現しなければならないのであります。すなわち、本果の仏として釈尊が出現したのならば、末法には本困の仏として、久遠の本仏が出現するのでございます。

その本因の仏が悟りを開いた南無妙法蓮華経を、釈尊の時代に残された人のために出現して下種するのであります。それが大聖人の教えでございます。ですから、大聖人のお題目は釈尊のものではなく、一応上行菩薩のものである。しかし上行というのは、付嘱の姿を表わしているだけで、名前をとったにすぎないのです。元は、久遠の仏即ち宗祖日蓮大聖人は末法に出現して、はじめて南無妙法蓮華経を我々衆生に下種する、衆生の心に種を蒔いて、南無妙法蓮華経と唱えなさいとお教えられたのです。
(法道院創立八十周年記念法要の砌 S53・12・12)

 ◆ ◆ ◆

大聖人様は久遠元初本困の仏、名字即の仏であるが故に、本有無作の姿、即ち我々と同じ姿の仏である。釈尊は本果の仏、即ち立派な姿となって、三十二相入十種好を具えた仏の姿をした仏である。

我が日有上人は、この三十二相八十種好を具えた立派な仏は、末法の我々の感見に及ばず、我々がそれを拝んでも、我々の智恵にはとうてい、そういう立派な仏は及ばないのである。ただ我々と同じところの、その名字即の姿、本有そのままの姿の仏こそ、真実の我々の仏であるということをお教えになっております。

大聖人は正しく我々と同じ姿の本困の姿、いわゆる久遠元初そのままの姿、修行のそのままの姿として、末法に出現して我々の一切衆生の苦を、ただ大聖人様の苦として、これを大慈悲によって大聖人の功徳を南無妙法蓮華経の袋の中に入れられて、我々の口にその南無妙法蓮華経を唱えしめるところの大慈悲仏であるのであります。
(御虫払大法会の砌 S42・4・6)

 ◆ ◆ ◆

世の中には仏様というのは沢山あります。お釈迦様の木像、或は阿弥陀さんの木像、薬師さんの木像、到る所にあります。それぞれ三十二相八十種好といって、仏の姿をした木像があります。しかしこれは、真実の仏ではないのでございます。大聖人様が当体義抄に「設雖仏権教仏不可付仏界名言権教三身未免無常故」ということをお説きになっております。

この仏の姿は法身・報身・応身という三身の姿をもってはじめて仏としての働きを備えるのでございます。

阿弥陀さんとか、一切の仏様は唯我々の姿をもって我々を救うという姿に於いてあるだけで、その本の本当の姿というものを、真実の真理というものを備えていない。これを備えるのが三身相即の仏と申すのでございます。今末法に於いては、その三身相即の仏は即ち、南無妙法蓮華経の法をもって、その法を末法の衆生に下種する所の仏、即ち大聖人様でございます。
(余市長遠寺入仏の砌 S50・9・10)

 ◆ ◆ ◆

私共の信じ奉る処は、人法一箇の大御本尊様であります。その御当体は宗祖日蓮大聖人様であります。その法は大聖人様の御魂である処の本困妙の南無妙法蓮華経であります。末法の私共は大御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と信心修行する処に、大功徳が大御本尊より出現して、私共の即身成仏の大願の上に来り、又私共の行住座臥の信心のふるまいの時、並びに折伏修行の時に大功徳が備わるのでございます。
(法華講連合会第三回総会の砌 S41・7・31)
 

日達上人御指南抄

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 4日(金)20時38分2秒
返信・引用
   ◆◆◆ 法統相続 ◆◆◆

 法統相続という事は大聖人の御法門を永久に少しでも曲げずに、又、いろいろな混りものもなく純粋に保っていく、という事が最も大切な事と思います。その時、その為にはあるいは一時身を小さくする時もありましょう。宗門をガッチリと固める時もありましょう。

 又、大きく広がる時は大いに広がり、そして広宣流布へと向っていくべき時もありましょう。いずれにしても大聖人の純粋の仏法を永代に続けなければその意味がないのであります。ただ水脹れみたいにふくれるだけが我々の使命と思っては大変な事であります。
(寺族同心会大会の砌 S49・5・31)

 ◆ ◆ ◆

 我々が信心したら子供にそれを継がせなければならない。自分だけ信心して死んじまったらいいなんていっては、本当の慈悲には及ばない。子供も同じく信心さす、これを法統相続という。法を子供、孫に相続させて、真の法華経の行者とならなければならないのであります。
(正光寺新築落慶式の砌 S41・9・8)

 ◆ ◆ ◆

 我々が妙法蓮華経の信心を、正しく子孫に伝えることが継命であります。我が日蓮正宗においては、昔より法統相続と云うことが大切であると教えられております。『継命』は、その法統相続を意味します。
(『継命』発刊によせて S54・4・28)
 

呆太郎 様

 投稿者:フリテン  投稿日:2005年11月 3日(木)07時13分24秒
返信・引用
  富士宗学要集第九巻のアップありがとうございます。
お手数をおかけし申し訳ありませんでした。
 

法太郎、改め呆太郎ですわ、へ(^0^)ノ、某法華講員のための資料アップ、

 投稿者:呆太郎メール  投稿日:2005年11月 1日(火)23時09分9秒
返信・引用 編集済
  富士宗学要集第九巻史料類聚[2]、下 法難編

富士門徒の遭へる法難を概観するに表面には次第に其勢を減少したるが如し、是或は官憲の理解が次第に深くなりたるか門徒の信仰が漸く弱くなりたるか又は宗義が一般に認識せられたるかに帰するか、故に六百有余年来未だ熱原法難の如きを見ずと雖も、千葉の法難に至つては疾風迅雷何等の陳弁を侯たずして極刑に処するあり、

金沢に至ては小難断続百余年に亘り尾張も亦三十余年に及ぶ、其の罪科を数ふれば熱原に神四郎等の斬罪三人、千葉に源右衛門等斬罪四人、高瀬に日清三郎左衛門の牢死二人、寛政に寛道の牢死、仙台に覚林日如の流刑廿七年、其外重軽の追放及び逼塞閉門扶持離れ所払等の者は数百人に及べり其の仕置の影響する所団体としては熱原千葉を酪とし寛政を大とし金沢を長とす、

個人として日如の半生を長とす、而して門徒は表面に官憲を憚かりてや日如の操行識見も為に報ひられずして貧寺に終身し曽我野の供養塔に香華断絶す、熱原の事蹟が明瞭ならざる、要山本末の辛苦が報ひられざる等、当時門徒の信仰は内面的にのみ深まりて暗影を生じたるやに見え明朗に活発に展開すること能はざるやの観ありしが如し


顧みるに法難の起る時必ず外に反対宗門の針小棒大告発ありて其端を発し、内に世相を無視して宗熱に突喊する似非信行の門徒ありて、両面より官意の横暴を徴発するの傾き多し、


本篇に列する十余章皆然らざるは無し、今や聖代時を追うて弥よ仁に弥よ慈に有司此を体して明朗に信賞必罰公平無私兆民此に依りて身心奉らけく一人の無告の民なし、本法難篇なんどは全く往昔の夢物語と成了せん、

去り乍ら現世生活の安奉に流れ行く信行は知らず計らず逸楽にのみ遷り行かんに、近年漁りたる大東亜戦は此各現生活の大覚醒と成るべきも信仰の徹底には如何の影響あるべきか、門徒の自粛を要する所なりしも昭和の始より起りし牧口常三郎戸田城聖の創価学会が俄に法運を回復せしが却つて非時の国憲に触れ、同十八年の法難を惹起せし悲惨事ありしも、宗祖開山の聖代に還れる信行両全の現状を念へば広布の大願成就に近づくが如き念ひが涌く。
(富士宗学要集第九巻247頁)


◆富士宗学要集第九巻史料類聚[2]、法 難 編(昭和度)

明治已後は徳川幕末の影響を受けて、廃仏毀釈の為に各仏教の勢力減退し、加ふるに明治天皇の神格向上と共に、又形式だにも各仏教の繁栄を見ざるに至り、殊に国威の発展と共に益々其勢力を削がるる傾きに陥り、時の政府の愚弄する所と成り了り、殊に昭和度の軍国政府の勃興するや全く神威の下に漸く生息するの程度に陥りたり、此を以て古来神社の整理を謀り或は雑乱の社参を禁止せし浄土真宗及び日蓮宗の一部に於いては法難を受けたる事頻繁にして此れが防御法に苦心惨憺たりしなり、

吾宗の僧俗亦此難を免れず殊に真新気鋭の創価学会最も此の難を蒙むり殆んど全滅の形状に陥れり、但し当時の国家としては神威に憑み過ぎて大敗戦に及びし為に世界の劣等国と成り対外的にも政策の大変動に依り俄然此等神道偏尊の悪風が一掃せられたるも却つて個人の自由は勿論にて信仰も亦自由公平となりたれば、学会の復興も忽ちに成り、意気中天に達し全国到る処に新真なる会員が道場に充満し幸福平和の新天地を拓ければ一時の劣等が又最勝国と成るべきか、、各宗教界の羨望甚だしく、本末の仏法隆盛を極め法益倍増、法滅の末法忽ちに変じて正法広布の浄界と成り広宣流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし、悦ぶペし、編者申す。

(左の一編は小平芳平氏の記に依る)

 一、事件の概要
昭和十九年七月六日、創価教育学会の会長以下二十一名が治安維持法違反及び不敬罪の容疑により、各地の警察著に留置された、この事件の背景とその概要は次の通り。

昭和十二年七月七日、支那事変勃発、十五年七月成立した第二次近衛内閣は、新体制準備委員会を作り、高度国防国家建設を声明、十六年十月十八日、東条英機が内閣を組織し、戦時動員体制を整えつつ同年十二月八日、対米英宣戦布告を行つた。

緒戦の陸海軍の大戦果にもかかわらず、アメリカ軍は次第に反攻に転じ、進歩した科学と豊富な物量をもつて次第に日本軍を圧倒し始め、開戦後一年も過ぎる頃からあわただしい空気に包まれてきた。創価教育学会は昭和十二年に発会して当時(昭和十七年頃)は会員が三千人に発展していたが、牧口会長はこのように未曾有の非常時局を救う道は、日蓮正宗の広宣流布以外にないこと。従つて今こそ国家諫暁をしなければならないと仰せ出される。

然るに時局は全く逆の方向に流れつつあり、あらゆる分野において戦時体制化を強要し、当局は宗教も各派を合同して一本化し国家の大自的に応じて進まなけれはならないとの方針をとるようになつた、軍部の権力を背景とする文部省のこの方針は、日蓮宗の各教団は単称日蓮宗(身延)へ合同しなければならないとし、軍人会館を中心に日蓮主義者と称する軍人と、日蓮宗の策謀家達が縷々会合してこの策謀の推進に当たっていた、大石寺の僧俗の中にもこれに動揺を来す一類を生じ、小笠原慈聞師は水魚会の一員となり、策謀の一端を担うに至る、而して「神本仏迹論」を唱え、思想的にも軍閥に迎合して総本山大石寺の清純な教義に辱点を投じた。十八年二月にはガダルカナル島の敗戦が発表され、愈々戦局は敗色濃厚となり、国民生活には極度の窮乏が襲いつつあつた。

牧口会長は今こそ国家諌暁の時であると叫ばれ、総本山の足並みも次第に此に向つて来たが、時日の問題で総本山からは堀米部長がわざわざ学会本部を来訪なされ、会長及び幹部に国家諫暁は時期尚早であると申し渡されたが、牧口会長は「一宗の存亡が問題ではない、憂えるのは国家の滅亡である」と主張なされた。

小笠原師はこの策謀に成功すれば、清澄山の住職とか或は大石寺の貫主を約束されているとの噂もあつた、十八年四月七日には、東京の常泉寺において、小笠原師の神本仏迹論を議題に、掘米部長が対論することになつたが、小笠原師の破約によつて実現しなかつた、又この頃東京の妙光寺にも紛争があつたが、陰には小笠原の策動があつたといわれている。

この当時、総本山と創価教育学会を訴えた者があるとの噂もあり正宗と学会弾圧の気配が次第に濃くなってきた。

十八年六月には、学会の幹部が総本山へ呼はれ、「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた、牧口会長はその場では暫く柔かにお受した、が心中には次の様に考えられていた、当時の軍国主義者は、惟神道と称して、日本は神国だ、神風が吹く、一億一心となつて神に祈れ、等々と呼びかけていた。少しでも逆う者があると、国賊だ、非国民だといつて、特高警察や憲兵のつけねらう所となつた、もとより牧口会長は、神札を拝むべきではない、神は民族の祖先であり、報恩感謝の的であつて、信仰祈願すべきではないと、日蓮大聖人、日興上人の御正義を堂々と主張なされていた。

この頃一般日蓮宗に対して、御書の中に神や天皇をないがしろにする不敬の箇所があるとか、お曼陀羅の中に天照大神が小さく書いてあるのはけしからんというような、くだらない警告が発せられ、一部の日蓮宗では御書の一部を削つたりお曼陀羅を改めるというよな事件さえあつた。

こうして合同問題のもつれと小笠原一派の叛逆、牧口会長の国家諫暁の強い主張等を背景とし直接には牧口会長の折伏が治安を害するといい、又神宮に対する不敬の態度があるとして、弾圧の準備が進められたから会長の応急策も巳に遅し、

殊に十八年の四月には豆北の雪山荘を大善生活同志の本部とするの盛挙を為すほどに発展もしていたが、同じ頃から学会本部の本間四郎、北村宇之松が経済違反の容疑で逮捕され、六月には陣野忠夫、有村勝次の両氏が学会活動の行きすぎ(罰論)で逮捕され、七月六日には伊豆に御旅行中の牧口会長を始め、戸田理事長等が逮捕された。

それ以後幹部二十一名が各地で逮捕され、治安維持法違反、不敬罪との罪で獄中に責められた、牧口会長は逮捕されて一年半十九年十一月に老衰と栄養失調にのため七十四歳で獄中に亡くなられた。一方総本山は漸く弾圧を免れたが、戦時体制に捲き込まれ、十九年十二月からは、兵隊の宿舎に客殿を提供せざるをえなくなり、大宮浅間神社の神籬(ひもろぎ)を寸時書院に祀るようの事もあった、その為か、二十年六月十七日兵隊の火の不始末から失火し、対面所、大奥、書院、客殿、六壺等の中心を焼き、第六十二世日恭上人猊下は責を一身に負われてか、火中に無念の御遷化を遊ばされる不祥事を惹起した。

戦事の激化とともに、留置場生活も異常の食糧難や不潔に陥り、残された留守家族も、企業整備、疎開、イソフレ、統制配給、応召、勤労動員等々とあわたゞしい動きの中に益々生活難に陥り、或は世の白眼視に耐えかねて退転する者が多かつた。

最後に戸田理事長は二十年七月三日に保釈され、直ちに学会の再建にとりかかられた、裁判の結果、懲役の判決を受けた者もあつたが、敗戦とともに治安維持法が廃止され、神社に対する不敬罪は大赦により、大多数の者は免訴となつた。


二、法難者一覧

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┃   ┃ 氏  名  ┃  留置場所        ┃  拘置期間  ┃  備考   ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃東京 ┃牧口常三郎  ┃神田警察署、警視庁、    ┃昭和18年7月6日~┃拘置所にて死亡┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃19年11月18日死亡┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃戸田城外   ┃高輪警察、警視庁、     ┃〃 19年7月6日~┃免訴     ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃  20年7月3日 ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃寺坂陽三   ┃蒲田警察          ┃〃18年7月20日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年9月30日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃神尾武雄   ┃杉並警察、三田〃、     ┃〃18年7月20日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年7月23日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃矢島周平   ┃錦町警察、         ┃〃18年7月6日 ~┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 20年4月28日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃木下鹿次   ┃愛宕警察、神楽坂〃     ┃〃18年7月20日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年11月頃  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃有村勝治   ┃淀橋警察、 愛宕      ┃〃18年6月29日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃              ┃ 20年2月26日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃陣野忠夫   ┃淀橋警察          ┃〃18年6月29日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年12月22日 ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃中垣豊四郎  ┃万世橋警察         ┃〃19年1月25日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年10月12日 ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃稲葉伊之助  ┃高輪警察          ┃〃18年7月6日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年11月   ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃片山 尊   ┃錦町警察、警視庁、     ┃〃18年7月20日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年8月12日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃野島辰次   ┃四谷警察署         ┃〃18年7月20日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年8月12日~ ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃本間直四郎  ┃池袋警察、警視庁、     ┃〃18年4月~   ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 19年12月22日~┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃岩崎洋三   ┃新橋警察          ┃〃19年1月~   ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃巣鴨拘置所         ┃ 20年7月10日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃神奈川┃美藤 トサ  ┃鶴見署           ┃〃19年2月22日~ ┃起訴猶予   ┃
┃   ┃       ┃              ┃ 19年9月13日  ┃       ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃森田孝    ┃加賀町署、臨港署、伊勢崎署、┃〃19年2月22日~ ┃判決懲役三年 ┃
┃   ┃       ┃横浜拘置所         ┃ 20年2月3日  ┃執行猶予五年 ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃堀 宏    ┃神奈川署          ┃〃19年2月22日~ ┃判決懲役二年 ┃
┃   ┃       ┃横浜拘置所         ┃ 20年1月23日  ┃執行猶予三年 ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃小林利重   ┃戸部署           ┃〃19年2月22日~ ┃判決懲役二年 ┃
┃   ┃       ┃横浜拘置所         ┃ 20年1月23日  ┃執行猶予三年 ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃福岡 ┃金川末之   ┃福岡警察署         ┃〃19年2月6日~ ┃免訴     ┃
┃   ┃       ┃福岡市土手町拘置所     ┃ 19年12月   ┃〃      ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃安川鉄次朗  ┃西福岡警察署、福岡警察署  ┃〃19年2月6日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃福岡市土手町拘置所     ┃ 19年12月   ┃〃      ┃
┣━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━┫
┃〃  ┃田中国之   ┃福岡警察署         ┃〃19年3月5日~ ┃〃      ┃
┃   ┃       ┃              ┃ 19年3月19日  ┃〃      ┃
┗━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━┛

(富士宗学要集第九巻428~433頁)
 

大石寺誑惑顕本書(終了)

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年11月 1日(火)20時25分20秒
返信・引用
  ■どうしても変換出来ない文字がありましたので伏せ字になりましたが
前後の文章から一節の意味は通じると思います。

【本文】
仏所制の衣は上下別にして腰より上を■といい下を■という、震旦に所請法服なり、此を魏の代の時上下二衣を縫い合わせたる間、直綴(ジキトツ)となる。素絹は昔し、天台宗にて衣を制するとき日本の所製にして天竺制には非ず、倶に以って謗法なるべし。法服、直綴、素絹、皆是れ天台の法衣なり、何ぞ素絹のみ是といわんや。

衣は色なり、色は用なり、体の衣が謗法ならば薄墨色染めも謗法なり、然る時は何様の衣を用んや汝等は別に異形の衣を制し用ん歟。如何。

只其れ今は法服、直綴、素絹等、通じて着用せよ、但し刀剣を帯し化他折伏し四方に走る時は素絹にあらずんば便ならざる歟、自行業を修する時は摂受化儀をも用ふべし。然りといえども是れは裏にして傍助なり。

当家の表は随力演説にして教化専一なり、然れば法衣も礼節にまかせて何をも用うべき事なり、只、素絹のみに執着するは無下の愚徒なり。若し、法衣に付いて始めて謗法といわば汝が山にも御朱印を賜わるに何ぞ請るや。

衣食住の三、何れか重かるや、僅かに一穀一粒たりとも謗法としては何ぞ請るや。若し国主より賜る間、請るといわば吾山とても色衣錦の衣汝等も、四代将軍厳有院様御母堂の御妹、蓮華院殿本門寺へ御尊骸おさまるの時、上より賜る。而して後に江戸の蓮華寺御建立下され御朱印まで下し置かる。

是れを何ぞ謗法というや、今、日本国中の請寺院たとえ御朱印は賜はらずとも一町一畝も免除の地には三宝供敬の皆たまものなり。汝等日頃痴人を誑惑するの癖として公を偽り、世界を荘厳し出入りに従者数人にて往還するは何事ぞや。白面のほくろを知らずして他の面のほくろを毀らんよりは先ず旧来の妄語我執を改めよ。

いよいよ錦の大衣、七条九条等の袈裟紫緋色等謗法ならば、汝か徒も謗法の地に何ぞ住するや、それ王法仏法に冥するの大義を知らずして猥りに王法を軽蔑して禍怠の疵を求むるの徒なり、哀しむべし。早く愚癡の偏執を捨て法滅の前相たる真白の袈裟を止め置き紫緋の袈裟に改めよと云え。

云わく、仰せらるる段々大石寺の謗法顕著にして色心有らん者、誰か大石寺の門前に履をぬがんや、拙子、自今より重須を把りて大石着心の垢を洗い猶本門寺の正法を弘通せん。(了)




 薄墨の衣白袈裟は天台宗の化儀によるものであるが故に天台宗でつかう大衣
や種々の色袈裟は謗法ではないと強弁しています。

 宗祖日蓮大聖人が薄墨白袈裟であられたことは身延派の「水鏡の御影」や
重須の「正御影」にもあきらかです。大石寺は宗祖大聖人からの化儀を尊守し
折伏の軽装である四条の白袈裟、薄墨の衣でこのすがたは天台宗の「行動着」に
相当します。

 高僧の着す錦の衣が末法の折伏の化儀であるかどうか、大石寺と重須のどちらが
宗祖大聖人様のみこころに添っているかはめいはくです。

 最後に大石寺の信者が重須の言い分に納得して帰依するかたちで終わっていますが、
寺替えが簡単にいくかどうかは幕府の法令に照らしてあり得ないことです。
所属の寺院を替えるのは所属の寺院の許可があれば一代にかぎり許されることも
ありますがめったには無いことです。

 いじょうで大石寺誑惑顕本書は終わりです。このような謀書が秘書として
広がっていることには驚いてしまいます。

 法華講員の諸兄はよろしくみほどいて邪宗の謀略を破折されることと思います。
 

Re: 哀れ月餅。

 投稿者:れいな  投稿日:2005年10月31日(月)21時45分17秒
返信・引用
  > 月餅は法の字が執行海秀の論文を用いながらちゃんと破折していることに
> 気付かないバカモノであることがわかった。
> 反論不能の相手の文章を切り取って別なものに仕上げて
> 反論したつもりになっているバカ(笑い)。
>
> 日達上人が御本尊を「成仏の印」と説法された言葉を
> 「印契」とすりかえて幼稚な謀略で逃げ切ろうと画策する
> 愚か者というべきだな(笑い)。
> しかし月餅はエライ!
> なんせ誰でもわかる、日達上人の言葉をすりかえたつもりで
> 逃げ切ったと思っているのだかんな(笑い)。
> なんと可愛らしいウソツキではないか(爆笑)。


アハハ!

ヤッホ~~~~~~~~~~~~~~~!

月餅君かわいそうだね。

ではではご自由に!
 

哀れ月餅。

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年10月31日(月)21時30分43秒
返信・引用 編集済
  月餅は法の字が執行海秀の論文を用いながらちゃんと破折していることに
気付かないバカモノであることがわかった。
反論不能の相手の文章を切り取って別なものに仕上げて
反論したつもりになっているバカ(笑い)。

日達上人が御本尊を「成仏の印」と説法された言葉を
「印契」とすりかえて幼稚な謀略で逃げ切ろうと画策する
愚か者というべきだな(笑い)。
しかし月餅はエライ!
なんせ誰でもわかる、日達上人の言葉をすりかえたつもりで
逃げ切ったと思っているのだかんな(笑い)。
なんと可愛らしいウソツキではないか(爆笑)。
 

月餅くんの愚論を8分で破折!!

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月31日(月)21時01分8秒
返信・引用
  月餅くんいわく。
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れいな板応援団に呆れる  投稿者: 月餅  投稿日:10月31日(月)11時28分43秒れいな板応援団の読解能力の無さにはほとほと呆れ果てる。>(01)日蓮大聖人が印と本尊の合一は他の御書に説かれていないから用いることは出来ない(要旨)>(02)歴代の上人の誰もが説いていないから用いることは出来ない(要旨)こんなまとめ方にすること自体が、反論不能であることを証明している。
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 立派に反論になっております。言葉だけで逃げ切ることは出来ませんね。

月餅くんいわく。
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法太郎は、「大聖人の御本尊は印である」とし、その依文を『秀句十勝抄』にある一行の『大日経疏』の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」とした。それに対して、月餅の現時点までの指摘は以下である。1.『秀句十勝抄』の意図を無視してはならない。『秀句十勝抄』では、「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いを立て、『依憑集』の引用によって回答が為されている。その部分に「依憑集」が引用する該当の一行の「大日経疏」の言葉がある。『秀句十勝抄』の意図を全く離れて正反対の肯定の依文にするのであれば、大聖人に同文を引用されて「大聖人の御本尊は印である」と示される事例が無くてはならない。
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 秀句十勝抄は日蓮大聖人の御指南であります。これからはいくら詭弁を弄しても
逃げ切ることは出来ません。

月餅くんいわく。
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2.印契について、大聖人は諸御書にはっきり枝葉であるとされている。また、「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)とまで断言されている。一箇所だけ『真言見聞』に法華経には「合掌の印あり」とされているが、その前に印契は枝葉であるとされた上であり、「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示される。大聖人は諸御書では、法華経に印契は説かれていない、あるいは略されたとして展開され、それは枝葉だからであると繰り返し言われている。何よりも「合掌」が、「大聖人の御本尊は印である」では無いことは明らかである。合掌に意義を持つことと、「御本尊は合掌である」とはぜんぜん違うことであるのは、簡単な道理である。
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 日蓮大聖人は、法華経には合掌の印ありと法華経の印を御指南されています。

月餅くんいわく。
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3.該当の一行の『大日経疏』の引用が大聖人の御書には他に全く無く、「大聖人の御本尊は印である」との重大な義の依文ならばこの文について肯定されたものがあるはずである。4.該当の引用は歴代にも見あたらず、ましてこれを依文として「大聖人の御本尊は印である」とは誰も言っていない。『秀句十勝抄』は弟子への講義のためのもであることがわかっているが、該当の文を「大聖人の御本尊は印である」との説明が大聖人からあればそれが後世に伝わるはずである。日興上人の著作・日興上人によると伝わるものにも全く現れない。以上のことをこれまで指摘したのである。しかもなお、議論が煩瑣にならないように以上にまだ絞っているのであるが、れいな板はたったこれだけの論点も把握できないのか。
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 日蓮大聖人は秀句十勝抄にて本尊・印・字は一相の開合と御指南されています。
また日寛上人は御本尊義には種々の見方があると御指南されています。
(妙法曼陀羅供養談義)

月餅くんいわく。
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>叡山の慈覚の言を、大聖人様は、御義口伝において法華最勝の文証として引用肯定する文はこのように肯定されて伝わっている。今該当の一行の『大日経疏』のものは、肯定して提示された事例が無いと言っているのである。ワカリマスカ?
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 他にはなくとも秀句十勝抄にきちんと出ています。わかりますか?

月餅くんいわく。
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>当然のごとく真言密教の印も「付随」していることは想定できる。「付随」ならば、「大聖人の御本尊は印である」ではない。大聖人の義によって質的転換されたものは、真言密教の印ではない。大聖人は「印契は成仏に関係ない」とされている。御本尊は大聖人内証の事の一念三千を顕してくださったのである。>【日達上人・妙法曼陀羅供養事ご説法】(前略)あるいはまた大聖人様は「三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給う」とも仰せになっております。この妙法蓮華経がなければ、三世の諸仏というものは生まれてこない。だから、この妙法蓮華経は一切三世の諸仏の御師であり、また一切女人の成仏の印である。(昭和40年4月18日沖縄・光明寺御親教)>■日達上人は明瞭に大聖人の御本尊は成仏の印であると御指南されていたのであります。爆笑である。恥ずかしくないのか?「妙法曼陀羅供養事」を読んだことがあれば、この日達法主の発言の意味は明瞭である。「妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ、此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得度の導師なり。此の大曼陀羅は仏滅後・二千二百二十余年の間・一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず」「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり」と仰せなのである。「印契」のことではないのは明らかではないか。日達法主は、御書を無視していると主張したいのか?日寛上人も「妙法曼陀羅供養談義」で次のように示されている。「「印文」とは、諸仏の実相の一印なり。経に云く「実相を説くを印と為す」文。御書十四三十七に云く「三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書成り仏の御判とは実相の一印なり印とは判の異名なり」文。「実相」とは法華経の極理なり。法華経の極理とは南無妙法蓮華経なり。御書十六巻に云く「法華経の極理・南無妙法蓮華経」と文。これを思え。」「印契」とのは違いぐらい理解しておきなさい。
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 日達上人は「印契」とはいわれていません。「成仏の印」とご説法されているのです。
今度は文面をスリカエテ逃げ切りますか?これで月餅くんの逃げ口上はふさがれましたね。

月餅くんいわく。
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>(感想)>ともすれば爾前権教の経教を謗法として退けがちな私どもですが、これもまた違法な考え違いというべきではないでしょうか。末法の我々衆生には爾前の八宗、十宗は成仏できないから謗法であり、破折し捨て去るものとかんがえがちなのです。誰が捨て去れと言ったのか。月餅がそのように言ったものを出してみよ。最初から月餅の主張していることは、大聖人の義として活用されるのであり、それゆえ「踏襲」ではないと言っているのである。何度以下を引用ことか。もう少し御書に向き合いなさい。「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)
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 はい、月餅くんはすり替えましたね。はじめは真言は謗法であると破折であり日蓮大聖人が用いるわけは
無いといいながら、日蓮大聖人の法華経が密教であることにはなんら知らないかおをしています。
まあ、図々しい恥知らずとは月餅くんのことでありましょう。

月餅くんいわく。
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れいな板は、やはり気づいている  投稿者: 月餅  投稿日:10月31日(月)11時31分32秒>御本尊様の当体が真言密教の印に相当しているとはいくらなんでも拡大飛躍の論理ではないかと思っていましたほれ、やっぱりれいな板も法太郎の言っている事は邪義で己義に過ぎないことは内心では思っているのである。(爆笑)>日顕上人も三界二十五有のすべてが大御本尊に備わっているというご説法を聞いていますので理論的には理解していると自覚していました。ほう、だったら日顕は「御本尊は欲界である」とでも言い出したのか?(笑)理論的に違うことではないか。>日達上人のご説法にそのものがあるとは重要な指摘です。別掲示に破折した。「印契」との違いぐらい理解しなさい。
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 同じことをくどくどと繰り返し完全に反論不能状態ですね。法華講員の言葉を切り文にして
悦に入っているようですが、さぞかし辛いでしょうね。
なにせ、大勢のネッターに恥をさらしたのですから。



 やたー!!8分で終わった!!
 

月餅君のカキコ

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年10月31日(月)20時38分22秒
返信・引用
  れいな板は、やはり気づいている  投稿者: 月餅  投稿日:10月31日(月)11時31分32秒
>御本尊様の当体が真言密教の印に相当しているとはいくらなんでも拡大飛躍の論理ではないかと思っていました

ほれ、やっぱりれいな板も法太郎の言っている事は邪義で己義に過ぎないことは内心では思っているのである。(爆笑)

>日顕上人も三界二十五有のすべてが大御本尊に備わっているというご説法を聞いていますので理論的には理解していると自覚していました。


ほう、だったら日顕は「御本尊は欲界である」とでも言い出したのか?(笑)
理論的に違うことではないか。


>日達上人のご説法にそのものがあるとは重要な指摘です。

別掲示に破折した。
「印契」との違いぐらい理解しなさい。
 

月餅君のカキコ

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年10月31日(月)20時37分4秒
返信・引用
  れいな板応援団に呆れる  投稿者: 月餅  投稿日:10月31日(月)11時28分43秒
れいな板応援団の読解能力の無さにはほとほと呆れ果てる。

>(01)日蓮大聖人が印と本尊の合一は他の御書に説かれていないから用いることは出来ない(要旨)
>(02)歴代の上人の誰もが説いていないから用いることは出来ない(要旨)

こんなまとめ方にすること自体が、反論不能であることを証明している。

法太郎は、「大聖人の御本尊は印である」とし、その依文を『秀句十勝抄』にある一行の『大日経疏』の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」とした。

それに対して、月餅の現時点までの指摘は以下である。

1.『秀句十勝抄』の意図を無視してはならない。

『秀句十勝抄』では、「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いを立て、『依憑集』の引用によって回答が為されている。その部分に「依憑集」が引用する該当の一行の「大日経疏」の言葉がある。
『秀句十勝抄』の意図を全く離れて正反対の肯定の依文にするのであれば、大聖人に同文を引用されて「大聖人の御本尊は印である」と示される事例が無くてはならない。

2.印契について、大聖人は諸御書にはっきり枝葉であるとされている。

また、「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)
「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)
とまで断言されている。

一箇所だけ『真言見聞』に法華経には「合掌の印あり」とされているが、その前に印契は枝葉であるとされた上であり、「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示される。
大聖人は諸御書では、法華経に印契は説かれていない、あるいは略されたとして展開され、それは枝葉だからであると繰り返し言われている。
何よりも「合掌」が、「大聖人の御本尊は印である」では無いことは明らかである。合掌に意義を持つことと、「御本尊は合掌である」とはぜんぜん違うことであるのは、簡単な道理である。

3.該当の一行の『大日経疏』の引用が大聖人の御書には他に全く無く、「大聖人の御本尊は印である」との重大な義の依文ならばこの文について肯定されたものがあるはずである。

4.該当の引用は歴代にも見あたらず、ましてこれを依文として「大聖人の御本尊は印である」とは誰も言っていない。
『秀句十勝抄』は弟子への講義のためのものであることがわかっているが、該当の文を「大聖人の御本尊は印である」との説明が大聖人からあればそれが後世に伝わるはずである。日興上人の著作・日興上人によると伝わるものにも全く現れない。

以上のことをこれまで指摘したのである。
しかもなお、議論が煩瑣にならないように以上にまだ絞っているのであるが、れいな板はたったこれだけの論点も把握できないのか。


>叡山の慈覚の言を、大聖人様は、御義口伝において法華最勝の文証として引用

肯定する文はこのように肯定されて伝わっている。
今該当の一行の『大日経疏』のものは、肯定して提示された事例が無いと言っているのである。ワカリマスカ?

>当然のごとく真言密教の印も「付随」していることは想定できる。

「付随」ならば、「大聖人の御本尊は印である」ではない。
大聖人の義によって質的転換されたものは、真言密教の印ではない。
大聖人は「印契は成仏に関係ない」とされている。御本尊は大聖人内証の事の一念三千を顕してくださったのである。

>【日達上人・妙法曼陀羅供養事ご説法】
(前略)
あるいはまた大聖人様は「三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給う」とも仰せになっております。この妙法蓮華経がなければ、三世の諸仏というものは生まれてこない。だから、この妙法蓮華経は一切三世の諸仏の御師であり、また一切女人の成仏の印である。(昭和40年4月18日沖縄・光明寺御親教)
>■日達上人は明瞭に大聖人の御本尊は成仏の印であると御指南されていたのであります。


爆笑である。恥ずかしくないのか?
「妙法曼陀羅供養事」を読んだことがあれば、この日達法主の発言の意味は明瞭である。

「妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ、此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得度の導師なり。此の大曼陀羅は仏滅後・二千二百二十余年の間・一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず」

「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり」と仰せなのである。
「印契」のことではないのは明らかではないか。
日達法主は、御書を無視していると主張したいのか?
日寛上人も「妙法曼陀羅供養談義」で次のように示されている。
「「印文」とは、諸仏の実相の一印なり。経に云く「実相を説くを印と為す」文。
御書十四三十七に云く「三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書成り仏の御判とは実相の一印なり印とは判の異名なり」文。「実相」とは法華経の極理なり。法華経の極理とは南無妙法蓮華経なり。御書十六巻に云く「法華経の極理・南無妙法蓮華経」と文。これを思え。」

「印契」とのは違いぐらい理解しておきなさい。


>(感想)
>ともすれば爾前権教の経教を謗法として退けがちな私どもですが、これもまた違法な
考え違いというべきではないでしょうか。末法の我々衆生には爾前の八宗、十宗は成仏できない
から謗法であり、破折し捨て去るものとかんがえがちなのです。


誰が捨て去れと言ったのか。月餅がそのように言ったものを出してみよ。
最初から月餅の主張していることは、大聖人の義として活用されるのであり、それゆえ「踏襲」ではないと言っているのである。
何度以下を引用ことか。もう少し御書に向き合いなさい。

「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)
 

大石寺誑惑顕本書。

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月31日(月)19時58分49秒
返信・引用
  【本文】
それ、懐色とは翻訳名義集日?経三昧経に云わく、仏在世の時衆僧乃至曇無屈多伽部は種味に通達し道の利益を表に殊勝を発すれば応に赤色の衣を着るべし、南方の赤に非ず、堤婆多部は博く敏達に通じ法花を以って導く、応にサウ(白の下に十)衣を着るべし、北方の黒に非ず、迦葉遺部は精勤し勇猛し快く衆生をセウす、応に木蘭色の衣を着るべし、弥沙塞部は恩玄微に入り幽密を究チョウす、応に青色の衣を着るべし、東方の青に非ず、摩訶僧祇部は衆経を勤学す、宜しく直義を講ずべし、以て本に所し中に居すれば応に黄色の衣を着るべき、中方の黄色に非ず、それより後、すなはち大に食を得べし、斯こに五色の衣をもって用いて五部の相をあらはす云々。法苑殊林にも舎利弗問経を引いて五部の色を出せり、往見すべし。要覧の上に云わく、青、赤、黄等みな色にして正色に非ざるなり云々、全文往見すべし。

それ、世尊所判の色衣は皆正色に非ず、壊色なり、黒色と名づくといえども名を假るのみ、されば紺は赤にも非ず青にも非ず、黒にも非ず壊色なり、故に是れをもって平僧の衣に用ゆ。

其れ壊色は仏の許し玉う色なり。全く正黒衣に非ず、壊色が何ぞ謗法ならんや、若し強いて謗法といわば世尊も謗法か、其の義あらんや。はたまた素絹五条御御影の如きをいわば是れ読誦の相にして不断行(フダンギョウ)の相なり。

衆僧大会且つ王公貴人の大法事の筋は必ず色衣七条等を用い荘厳儀式をも整え、三宝を供敬して衆人に三宝尊信をなさしめ菩提心を増進せしめ善根を深くなさしむべき事なり。

其れ当家は妙法五字を唱え折伏下種詮要たりと云えども大会、大法事は専ら仏の果分を稱揚するの節なれば不断衣(フダンギ)の素絹五条は譬えば武家に羽織肩衣袴等の不断着(フダンギ)にて天下の大礼を行うがごとし、これ豈に甚だ軽率の至りに非ずや。

若し強いて何れの時なりとも素絹五条にて宜といわば世上の礼節を知らざる愚人なり。妙楽大師の云わく仏教の流化は実に茲に頼る、礼楽は前に馳りて直道は渡る云々。蓮祖いわく、天晴れぬれば地明らかなり法華を識るものは世法を得べきか云々。

されば世出の礼節した行わざる大石寺の衆徒等、争でか直道の法華の行者と云えけんや、次に直綴を毀謗する事、その謂はれ無し、それ名義集応法記、釈化要覧採摘集等往見せよ。





 ここでもまた重須の本門寺は珍奇な屁理屈を述べています。日蓮大聖人の姿は不断の行であるが
ゆえに武家が羽織り袴を着すのと同じで「不断衣」をフダンギと詭弁を論じています。
こんな幼稚な言い訳が通用するわけもない。

 日興上人の遺戒置文を偽書としていますが、これは古来から日興上人の御作であるといわれていて
なんら問題はなく、上古の代から衣を黒くすることは謗法とされています。
このような古来の化儀を破ってしかも正当化しようとするから陳腐な言い訳になってしまいます。
七百年来(当時は六百年)の化儀があり制法があるのであればその伝統を重視するのが仏法の化儀と
いうものであります。

 化儀の制法には化法に基づいた考え方があるわけですからこれに違反した重須本門寺は
新興宗教とかわらないというべきであります。
 

38分でした。

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月31日(月)19時49分3秒
返信・引用
   法太郎氏は月餅くんのこの程度の愚論でしたら
30分程度で破折出来るといっていました。

 今回38分でしたので今後はもう少し早く打ち込めるように
頑張りたいと思います。
 

月餅くんの脳乱文を破す。

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月31日(月)19時45分28秒
返信・引用 編集済
  反論不能の月餅くんいわく。
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法太郎、反論不能で泣く(  投稿者: 月餅  投稿日:10月29日(土)10時47分25秒
法太郎が完全に反論不能になっておる。
一行の「大日経疏」の言葉を大聖人の指南として「大聖人の御本尊は印である」などと、大聖人はもちろん、石山歴代の誰も言っていないことを言い出すのだから、この無様なさまは当然の帰結である。学会攻撃の法華講員でさえ困ってしまって逃げてしまうような邪義・己義であるからのう。(笑)>最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、
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 これは月餅くんの完全なスリカエであり、法太郎氏は御書にのっとって論理を
述べていることは他者からも明白であります。それに対しなんら反論が出来なく
おえむがえしで逃げ回っているのが月餅くんですね。


月餅くんいわく。
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伝教の言葉であると教えてあげたのは月餅である。既に証拠は示した。月餅が間違えていたと言うのなら、法太郎も同じく大聖人の指南と言って示していた。更には法太郎は、一行の『大日経疏』の一節を大聖人が引用されたのだから大聖人の指南だと、引用されている理由を無視しておる。法太郎に、該当の『秀句十勝抄』の一節が、一行の『大日経疏』の一節を『依憑集』が引用したものであることを教えてあげたのも月餅である。(笑)>まだ、大聖人とベルグソンは重なって見えておるのか?(爆笑)、
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 月餅くんウソはいけません。月餅くんは最澄の言説を大聖人の御指南であると勘違い
していました。大勢のネッターの知るところであります。

月餅くんいわく。
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法太郎には、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めとでも見えるらしいのう。(爆笑)>漢文の素養も無いことは決定的である。(笑)、「秀句十勝抄」の「法則諸宗之証拠矣。」を、読んでみなさい。>秀句十勝抄の当該箇所は、『「天台伝法は諸家の明鏡なり。陳随より以降興唐より已前、人は則ち歴代称して大師と為し、法は即ち諸宗をもって証拠とす。』が正しいのであり、平成新編御書のとおりである。(笑)、で、その意味はどちらなのかね?どちらも法太郎の言葉である。a「「法は即ち諸宗をもって証拠とす」というのは、諸宗は天台の仏法の証明になり得ることを指摘したものなのである。」b「即ち、東風氏が云っている、「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです」とは、まさにその通りである。」月餅が、「諸宗が天台の法を証拠としている」に対して、法太郎は「大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。」と否定した。さあ、「a」or「b」、どちらなのだ。
----------------------------------------------------------------


 月餅くんの陳腐な諮問設定は笑い話でありましょう。法太郎氏は以前も今も
諸宗の法門は天台から出たものであり諸宗の教義はその証拠であると述べられています。
さらに、法太郎氏は大聖人の仏法が寄せ集めなどといったことはありません。いってもいないことを
勝手にでっちあげているのが月餅くんでしょう。

月餅くんいわく。
----------------------------------------------------------------
>日寛上人が大日経の義釈を用いて曼陀羅法門を御指南されていることは既に述べた。>無智・無能のチャンコロ月餅は、日寛上人の曼陀羅御指南を見てうろたえ、私どもの言を切り文にしてパッチワークに逃げこんでおるだけであることは、誰の目にもあきらかである。(笑)、うろたえているのは、法太郎である。(爆笑)日寛上人は依義判文して用いられている。一行による『大日経疏』の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」を、「大聖人の御本尊は印である」などというようなことは、この『妙法曼陀羅供養見聞筆記』にも、「観心本尊抄文段」等にも、『六巻抄」にもされていない。『妙法曼陀羅供養見聞筆記』のここも肝に銘じよ。「問う、妙法即曼茶羅、曼茶羅即妙法なり。何ぞ煩重に「妙法曼茶羅」と題するや。答う、総じては他宗の曼茶羅を簡び、別しては真言の曼茶羅を簡異す、この故に「妙法曼茶羅」と題するなり
----------------------------------------------------------------


 月餅くんの支離滅裂な感想は謗法による脳乱としか思えませんね。日寛上人は曼陀羅を約すために
大日経義釈と義釈の註釈書の演密抄を引用しています。
曼陀羅という法門を説明するためにはやはりこれらの書籍が必要であったのでしょう。
月餅くんの言い分は反論になっていません。「逃げ」といいます。


月餅くんいわく。
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>ほれ、チャンコロ月餅も大聖人が依憑集を引用されたことは逃げ切れなかったではないか。(爆笑)、はあ?引用意図を問題にしているのに、何を言っている?オマエ、ホントウニダイジョウブカ?>大聖人は、伝教大師最澄の真言観についてご自身の立場から説明されたのがこの段である。チャンコロ月餅よ、よく聞け。通仏教では伝教大師最澄は、空海の真言を破折しておる。即ち法華秀句において、「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し」とは、最澄が空海を破折したものであり、自身が遮那業として用いた密教に対してではない。(爆笑)大笑いである。「秀句十勝抄」では、「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いを立てての依憑集の引用による回答であり、その部分に「依憑集」が引用する一行の「大日経疏」の言葉があるのだ。その言葉を「秀句十勝抄」での引用意図を無視して、それを依文として「大聖人の御本尊は印である」なんてならない。この一行の「大日経疏」の言葉を「大聖人の御本尊は印である」との依文にしたければ、そのようにされているものを出せと言っているのだ。ワカリマスカ?
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 御本尊と印と字は一相の開合であるとは日蓮大聖人の御指南であります。

月餅くんいわく。
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もう一つ法太郎よ、大聖人は叡山の「遮那業」など立てられない。ああ、オマエは天台の密教を助行としていたのだったのう。(爆笑)大聖人がどう考えられたのかは次である。「但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う。入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論が計りなかりけるかのあひだ、敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん、皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず。弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。但し依憑集と申す一巻の秘書あり。七宗の人人の天台に落ちたるやうをかかれて候文なり。」(撰時抄)「敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん」と仰せなのである。
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 伝教大師最澄が密教をも含めた四教兼学を宗是としたことは事実であります。

月餅くんいわく。
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>大聖人は、御自身の内証に大日如来がおることを「御本尊」に勧請することで証明しいておる。(爆笑)、よく読め。「猶し天台の法身、般若、解脱の義の如し云云。」は、一行が、「大日経疏」において大日如来について述べているところの引用なのである。本来は「天台の法身、般若、解脱の義」の無い「大日経」の大日如来を、一行が天台義を利用して「あるのだ」と主張しているところなのだ。無いものを、天台の義を盗んで有る様に見せかけているぞと引用されている部分である。なおかつ大聖人はその大日如来について、「華厳経の十方台上の毘盧遮那、大日経、金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」(法華取要抄)「月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給いて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給う。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う。此れ即ち法華経の行者なり。天竺かくのごとし。」(報恩抄)と仰せであり、御本尊に大聖人が表されて現存しているのは胎蔵・金剛界の両方の大日如来が一幅、胎蔵界の大日のみが一幅であり、両方とも上に引用した御書のように、「宝塔品の多宝如来の左右の脇士」として表されているのである。
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 しかし、日蓮大聖人が己心の仏界に大日如来を認め、外用において大日如来から
摘摘相承をうけられたことは事実です。

月餅くんいわく。
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>依義判文とは義によって経典の解釈をすること、依文判義とは文によって義に通ずることである。日寛上人が依義判文として大日経義釈を用い、演密抄を引用したというのであれば如何なる文段を構築したか述べよ。(爆笑)、大爆笑である。第一に法太郎は「依義判文」と「依文判義」を混乱して使っていた。そのことは既に「法太郎、無慚  投稿者: 月餅  投稿日:10月19日(水)12時17分57秒 」で、法太郎自身の言葉を引用して証明した。おまけに、まだ、意味を本当には理解していないのである。法太郎が引用したところが日寛上人が依義判文として用いられているところではないか。法太郎よ、依義判文として用いられているのでなければ、日寛上人の引用は何のためなのだ?「爾前は迹門の依義判文・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」(十章抄)そして依義判文は、踏襲ではない。大聖人が「曼荼羅」形式を御本尊図顕で採用されるにも、あくまでも大聖人の義でもって採用されている。それは真言密教義の曼荼羅ではなく、大聖人における義での曼荼羅として顕されたのである。「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)
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 日寛上人が大日経義釈を用いられたのは日蓮大聖人が妙法蓮華経の説明に胎蔵界曼陀羅を
示したように依義判文ではなくたんなる「援用」であります。

月餅くんいわく。
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>大聖人が明らかに法華経には「合掌の印あり」と御指南されておることは事実である。(爆笑)、なんだたったこれだけの、反論不能か。次のように大聖人が仰せなのも事実だぞ。「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)再説してあげる。まず、提示された文の直前に、次のように言われていることを見落としてはならない。「法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙・葱嶺等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり」「印契・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印・真言これ有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり 知んぬ是れ訳者の意楽なり」つまり、法華経において「印契・真言」は枝葉のことなのである。これをふまえた上で、「合掌の印之有り」は「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示されるのである。だから真言の「印・真言」に対しての法華経の印契として、「合掌の印之有り」と言われているのはこの『真言見聞』においてだけであり、「合掌」は、大日経等の純密経典が成立する以前から、仏・菩薩を礼拝・恭敬する時に用いられて来たものであり、法華経は自身の義によってこれを採用しているのである。ずっと後世成立の真言密教義では左右の手を金剛界・胎蔵界や理・智等に配当し、手印としての合掌という形式を説く。その「『蓮華合掌』というれっきとした『印』」から、法華経は採用したのではない。また、「合掌」が、「大聖人の御本尊は印である」では無いことは明らかである。合掌に意義を持つことと、「御本尊は合掌である」とはぜんぜん違うことであるのは、簡単な道理である。大聖人は印契は重視しないことを繰り返し言われている。これまでも何度も引用しているが、法太郎は全く大聖人の仰せを無視している。大聖人の仰せなのである。「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)「印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり。」(法華真言勝劣事)「凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には、何の不足か有るべき。」(同)「法華経には印・真言なけれども二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり。大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり」(聖密房御書)「真言宗の漢土に弘まる始は天台の一念三千を盗み取って真言の教相と定めて理の本とし・枝葉たる印真言を宗と立て宗として天台宗を立て下す条・謗法の根源たるか」(法門申さるべき様の事)
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 また月餅くんは空海の真言密教と日蓮大聖人の己心の法門とを混乱していますね。
法太郎氏が述べたように、日蓮大聖人の文底仏法は完璧に密教であり爾前権教の法門のことごとくが
大聖人の妙法に備わったものであり、当然のごとく御本尊には「印」も備わっているわけです。
その一端が秀句十勝抄に示されたものであります。

月餅くんいわく。
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>私は大聖人の御書を引用して論じたのであり、チャンコロ月餅のような「己義」に執着している恥知らずではない。(爆笑)
法太郎が引用したのは、『秀句十勝抄』の意図を無視して、一行による「大日経疏」の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」を依文とした「大聖人の御本尊は印である」である。法太郎自身が認めたように、大聖人はもちろん、歴代の誰も是を引用して「大聖人の御本尊は印である」とは言っていない。大聖人は、印契は枝葉と明瞭に言われているだけでなく、「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)と断じておられる。法太郎の己義であることは明瞭である。恥知らずは、法太郎であるこちは明らかである。>御本尊の相貌が印相であることは法華講の碩学が論じたものであり、日達上人は「解」と允可を与えておることは事実である。(爆笑)、松本氏のその所論が、現実の大聖人の御本尊全てに当てはまらないことは既に指摘した。歴代の書写も当てはまらない御本尊があるぞ。日達法主は、御本尊に当てはまらないことを「解」と允可を与えたのか?しかもだ、松本氏は「大聖人の御本尊は印である」とは言っておらない。
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 法太郎氏の所論にはきちんとした文証がありけっして己義などではないことと理解しています。
御本尊が印を示しているということは松本佐一郎氏の指摘であり日達上人が解と認めているいじょうは
その一義があると考えてよいと思います。

月餅くんいわく。
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>チャンコロ月餅は、御書に説かれた空海の真言に対する破折と、大聖人が依用した天台の密教の違いが理解出来ていないようであ。当然であろう。大聖人とベルグソンの違いが理解出来ておらないのである。(大爆笑)法太郎は、空海の真言と大聖人の法門の違いも、天台密教と大聖人の法門の違いもわからないのである。(爆笑)当然であろう、月餅がベルクソンの言葉を引用して、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めではないことを、ベルグソンの指摘と重なると言ったことさえ読解する能力も無いのである。(大爆笑)ベルグソン「哲学的直観」の引用である。「哲学者が没頭した問題はその時代によって出てきた問題でしょうし、彼が利用し批判した科学はその時代が生んだ科学でありましょう。彼がのべた理論の中には、その気にさえなれば、同時代や先だつ時代の思想を見つけることもできましょう。それは当然です。新しいものを他人に理解させるにも、その表現は古いものを通して行うほかないのです。すでに出された問題、前に与えられた解答、彼が生きた時代の哲学と科学、これらはどんな大思想家にとっても、自分の思想を具体化するためにどうしても利用せねばならぬ材料だったのです。・・・・しかし、表現の単なる手段にすぎないものを学説の構成要素と見ることは、奇怪な誤りです。」以下、別掲のものも簡単に触れておこう。>>①>>②>>③>反論不能であるな。(爆笑)、法太郎は反論不能だから、たったこれだけ言うのが精一杯なのだ。(爆笑)>が、横槍氏や、東風氏の指摘で、ネットの検索で調べられると知ったときは、正直いって、爆笑したぜ。一行の「大日経疏」を引用していることに気づかないでいることには、正直いって、爆笑したぜ。
>「法華経と大日経を「理同」と主張する真言の教えは、仏説に反する誑惑の邪義である。また「事勝」とは、大日経に印と真言が詳しく説かれているとの主張であるが、『法華経』においても方便品に、「為に実相の印を説く」(開結一一一)とあり、譬喩品にも、「我が此の法印は、世間を利益せん」(開結一七三)と説かれており、大日経だけの独説ではない。「事勝」と真言が主張する「印契」と、法華経方便品の「為に実相の印を説く」・譬喩品の「我が此の法印」の「法印」とは違うのだ。法華経の「実相の印」・「我が此の法印」の場合は、三法印(または四法印)に対して、大乗仏教では「諸法実相」の一印を示し、法華経の「諸法実相」こそ真実の法印とするのである。だから大聖人は次のように言われるのである。「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)>立正大学の執行海秀氏の所論を見てみたい。彼は石山教学批判の急先鋒だ。どうせなら全てを法華講員に紹介してあげればよい。
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 月餅くんの所論はまったく法太郎氏への反論になっていませんね。同じことを繰り返して逃げているだけです。
おそらく、何かを書けばまだリベンジのチャンスがあり、反論しているつもりになるのでしょう。
だが、まったく反論になっていないことは明白であります。

 月餅くんは間違いなく日蓮大聖人と外道のベルグソンが重なってみえると、仏法と外道の法を同一視しており
その反省は未だありません。

 日蓮大聖人の御曼陀羅には森羅万象の法界の法がすべて備わっているものです。日蓮正宗では法華経こそ真実の
真言でありといい、日達上人は御本尊を印であるとご説法されています。この事実から逃げることは
出来ません。

月餅くんいわく。
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れいな板応援団は月餅の味方?(爆笑)  投稿者: 月餅  投稿日:10月28日(金)09時43分59秒>創価学会員の月餅くんはコピペを繰り返して逃げ切るつもりです(笑い)。まともな反論ができないで何を泣いている。(爆笑)「チャンコロ」などという言葉を連呼する法太郎と、それを容認し法太郎を援護するれいな板が、その人格だけでなく、御書が読めず、読解能力もあまりに無いことを示すに、こんなにわかり易いものはない。法太郎が支離滅裂になったのは、れいな板応援団のせいでもある。法太郎は、『依憑集』の「法則諸宗以為証拠矣」を、「法は即ち諸宗をもって証拠とす」と読んで、『秀句十勝抄』の同引用も諸宗を証拠として天台の教えが説かれるとしていた。是は月餅が完璧に破折したように法太郎の読解間違いであるが、法太郎は間違いなりにも一貫してそれで主張した。ところが、れいな板応援団が法太郎の惨敗に応援して書き込んだのが、>諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけですこれでは法太郎の言っている事を否定していることになっている。(笑)困った法太郎はこう受けていかざるを得なくなった。>即ち、東風氏が云っている、「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです」とは、まさにその通りである。法太郎は、それまでは月餅が「諸宗が天台の法を証拠としているということである」と言った事を全面否定し、>大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。との主張であったのに、一挙に崩れて支離滅裂になった。
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 法太郎氏の所論は一貫しており、なんら変更も言い逃れもしていません。むしろ
揚げ足取りにやっきとなって支離滅裂に落ち込んでいるのは月餅くんですね。

 法太郎氏は諸宗が天台に依憑しているから諸宗の法は天台に備わったものであると論じて
いましたね。なんらおかしなことではありません。言葉の表記にすがりついて別な意味にスリカエようと
画策している月餅くんに無理がありますね。

月餅くんいわく。
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また、れいな板応援団は、月餅の主張を読解する能力が無いものだから、全く無意味に、大聖人が義釈を引用した文はあるぞと文を引いてきた。ところが月餅の主張を理解せずに出してきた証拠としての大日経義釈の引用は、「空海の言っていることは先師違背である」との指摘と、義釈側の言い分を示すところであった。こうして、れいな板応援団は月餅の味方を実はしていることになっているのである。(笑)
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 私どもはなんら謗法の月餅くんの味方はしておりません。そうなればいいなあと考える
月餅くんのお気持ちは理解出来ます。なにせ完璧に破折し尽くされていますからね。
 

月餅君のカキコ

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年10月30日(日)22時42分15秒
返信・引用
  れいな板応援団は月餅の味方?(爆笑)  投稿者: 月餅  投稿日:10月28日(金)09時43分59秒
>創価学会員の月餅くんはコピペを繰り返して逃げ切るつもりです(笑い)。


まともな反論ができないで何を泣いている。(爆笑)
「チャンコロ」などという言葉を連呼する法太郎と、それを容認し法太郎を援護するれいな板が、
その人格だけでなく、
御書が読めず、読解能力もあまりに無いことを示すに、こんなにわかり易いものはない。


法太郎が支離滅裂になったのは、れいな板応援団のせいでもある。
法太郎は、『依憑集』の「法則諸宗以為証拠矣」を、「法は即ち諸宗をもって証拠とす」と読んで、『秀句十勝抄』の同引用も諸宗を証拠として天台の教えが説かれるとしていた。
是は月餅が完璧に破折したように法太郎の読解間違いであるが、法太郎は間違いなりにも一貫してそれで主張した。

ところが、れいな板応援団が法太郎の惨敗に応援して書き込んだのが、
>諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです

これでは法太郎の言っている事を否定していることになっている。(笑)
困った法太郎はこう受けていかざるを得なくなった。
>即ち、東風氏が云っている、「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです」とは、まさにその通りである。

法太郎は、それまでは月餅が「諸宗が天台の法を証拠としているということである」と言った事を全面否定し、
>大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。

との主張であったのに、一挙に崩れて支離滅裂になった。


また、れいな板応援団は、月餅の主張を読解する能力が無いものだから、
全く無意味に、大聖人が義釈を引用した文はあるぞと文を引いてきた。
ところが月餅の主張を理解せずに出してきた証拠としての大日経義釈の引用は、「空海の言っていることは先師違背である」との指摘と、義釈側の言い分を示すところであった。

こうして、れいな板応援団は月餅の味方を実はしていることになっているのである。(笑)

>月餅くんは、誰にもわかる伝教大師最澄の言葉を、日蓮大聖人の言葉と間違えましたいです。


爆笑である。伝教の言葉であると教えてあげたのは月餅である。既に証拠は示した。
更に月餅が間違えていたと言うのなら、法太郎も同じく大聖人の指南と言って示していた。
更には今やっている一行の『大日経疏』の一節を法太郎は、大聖人が引用されたのだから大聖人の指南だと繰返している。
もちろん法太郎は引用されている理由を無視して言っている事は論証済みであるし、法太郎とれいな板に、該当の『秀句十勝抄』の一節が、一行の『大日経疏』の一節を『依憑集』が引用したものであることを教えてあげたのも月餅である。(笑)

>月餅くんは横槍氏の指摘のように、日蓮大聖人の仏法が外道のベルグソンと重なって見えると心情を吐露した外道であります。
>ベルグソンの外道の哲学と、大聖人の仏法が、「重なって見える」という「内外一致」に対する反論は、完璧に不能であります(笑い)。


こんなアホみたいなことまで答えなくてはならぬのか。よくよく読解能力が無い連中である。
月餅はベルグソンが「哲学的直観」で示した
「哲学者が没頭した問題はその時代によって出てきた問題でしょうし、彼が利用し批判した科学はその時代が生んだ科学でありましょう。彼がのべた理論の中には、その気にさえなれば、同時代や先だつ時代の思想を見つけることもできましょう。それは当然です。新しいものを他人に理解させるにも、その表現は古いものを通して行うほかないのです。すでに出された問題、前に与えられた解答、彼が生きた時代の哲学と科学、これらはどんな大思想家にとっても、自分の思想を具体化するためにどうしても利用せねばならぬ材料だったのです。・・・・しかし、表現の単なる手段にすぎないものを学説の構成要素と見ることは、奇怪な誤りです。」
との指摘は、大聖人におかれて覚られた処をどう表現するかということにおいて重なると思うと論じたのである。
大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めではないことが、ベルグソンの指摘と重なると言っているのだ。
キミ達は、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めとでも言いたいのか?


>法太郎氏はどんどん先に進んでますよ(笑い)。

法太郎は、あまりにみじめな惨敗から逃げようとしているだけである。(爆笑)

>多くの創価学会員が見ていてどのように思うのか?、ぜひとも御意見を伺いたいところであります。

誰が見ても法太郎とれいな板の惨敗は明瞭である。
法華講は法主の指南どおりに不変であるなんて言って学会攻撃に来ていた法華講員に、法太郎・れいな板の主張が正しいのか聞いたら逃げ出したぞ。そりゃそうだろう、こんな邪義・己義に賛成するのはれいな板だけである。(爆笑)

http://www.yonosuke.net/clip/data/4493.mp3

 

月餅君のカキコ

 投稿者:学会ウオッチャー  投稿日:2005年10月30日(日)22時40分38秒
返信・引用
  法太郎、反論不能で泣く(  投稿者: 月餅  投稿日:10月29日(土)10時47分25秒
法太郎が完全に反論不能になっておる。
一行の「大日経疏」の言葉を大聖人の指南として「大聖人の御本尊は印である」などと、大聖人はもちろん、石山歴代の誰も言っていないことを言い出すのだから、
この無様なさまは当然の帰結である。
学会攻撃の法華講員でさえ困ってしまって逃げてしまうような邪義・己義であるからのう。(笑)

>最澄の言説を大聖人の御指南と迷乱するバカ丸出しのチャンコロ月餅よ、


伝教の言葉であると教えてあげたのは月餅である。既に証拠は示した。
月餅が間違えていたと言うのなら、法太郎も同じく大聖人の指南と言って示していた。
更には法太郎は、一行の『大日経疏』の一節を大聖人が引用されたのだから大聖人の指南だと、引用されている理由を無視しておる。
法太郎に、該当の『秀句十勝抄』の一節が、一行の『大日経疏』の一節を『依憑集』が引用したものであることを教えてあげたのも月餅である。(笑)


>まだ、大聖人とベルグソンは重なって見えておるのか?(爆笑)、


法太郎には、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めとでも見えるらしいのう。(爆笑)


>漢文の素養も無いことは決定的である。(笑)、

「秀句十勝抄」の「法則諸宗之証拠矣。」を、読んでみなさい。


>秀句十勝抄の当該箇所は、『「天台伝法は諸家の明鏡なり。陳随より以降興唐より已前、人は則ち歴代称して大師と為し、法は即ち諸宗をもって証拠とす。』が正しいのであり、平成新編御書のとおりである。(笑)、

で、その意味はどちらなのかね?
どちらも法太郎の言葉である。

a「「法は即ち諸宗をもって証拠とす」というのは、諸宗は天台の仏法の証明になり得ることを指摘したものなのである。」

b「即ち、東風氏が云っている、「諸宗が天台に依憑しているいじょうは諸宗の教義はすべて天台の伝法のおかげであるということですので月餅氏は間違っているわけです」とは、まさにその通りである。」


月餅が、「諸宗が天台の法を証拠としている」に対して、法太郎は「大聖人は法華秀句の文を引用して諸宗の法門を法華によって統一したのである。故に「諸宗」が証拠なのである。」と否定した。
さあ、「a」or「b」、どちらなのだ。


>日寛上人が大日経の義釈を用いて曼陀羅法門を御指南されていることは既に述べた。
>無智・無能のチャンコロ月餅は、日寛上人の曼陀羅御指南を見てうろたえ、私どもの言を切り文にしてパッチワークに逃げこんでおるだけであることは、誰の目にもあきらかである。(笑)、


うろたえているのは、法太郎である。(爆笑)
日寛上人は依義判文して用いられている。
一行による『大日経疏』の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」を、「大聖人の御本尊は印である」などというようなことは、この『妙法曼陀羅供養見聞筆記』にも、「観心本尊抄文段」等にも、『六巻抄」にもされていない。

『妙法曼陀羅供養見聞筆記』のここも肝に銘じよ。
「問う、妙法即曼茶羅、曼茶羅即妙法なり。何ぞ煩重に「妙法曼茶羅」と題するや。
答う、総じては他宗の曼茶羅を簡び、別しては真言の曼茶羅を簡異す、この故に「妙法曼茶羅」と題するなり」


>ほれ、チャンコロ月餅も大聖人が依憑集を引用されたことは逃げ切れなかったではないか。(爆笑)、

はあ?
引用意図を問題にしているのに、何を言っている?オマエ、ホントウニダイジョウブカ?


>大聖人は、伝教大師最澄の真言観についてご自身の立場から説明されたのがこの段である。チャンコロ月餅よ、よく聞け。通仏教では伝教大師最澄は、空海の真言を破折しておる。即ち法華秀句において、「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し」とは、最澄が空海を破折したものであり、自身が遮那業として用いた密教に対してではない。(爆笑)


大笑いである。
「秀句十勝抄」では、「日蓮疑つて云く、伝教大師、真言宗を破せざるや。」との問いを立てての依憑集の引用による回答であり、その部分に「依憑集」が引用する一行の「大日経疏」の言葉があるのだ。
その言葉を「秀句十勝抄」での引用意図を無視して、それを依文として「大聖人の御本尊は印である」なんてならない。
この一行の「大日経疏」の言葉を「大聖人の御本尊は印である」との依文にしたければ、そのようにされているものを出せと言っているのだ。ワカリマスカ?

もう一つ法太郎よ、大聖人は叡山の「遮那業」など立てられない。ああ、オマエは天台の密教を助行としていたのだったのう。(爆笑)
大聖人がどう考えられたのかは次である。
「但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給う。入唐已後には円頓の戒場を立てう立てじの論が計りなかりけるかのあひだ、敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん、皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず。弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。但し依憑集と申す一巻の秘書あり。七宗の人人の天台に落ちたるやうをかかれて候文なり。」(撰時抄)
「敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん」と仰せなのである。



>大聖人は、御自身の内証に大日如来がおることを「御本尊」に勧請することで証明しいておる。(爆笑)、

よく読め。
「猶し天台の法身、般若、解脱の義の如し云云。」は、一行が、「大日経疏」において大日如来について述べているところの引用なのである。本来は「天台の法身、般若、解脱の義」の無い「大日経」の大日如来を、一行が天台義を利用して「あるのだ」と主張しているところなのだ。無いものを、天台の義を盗んで有る様に見せかけているぞと引用されている部分である。


なおかつ大聖人はその大日如来について、
「華厳経の十方台上の毘盧遮那、大日経、金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」(法華取要抄)
「月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給いて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給う。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う。此れ即ち法華経の行者なり。天竺かくのごとし。」(報恩抄)

と仰せであり、御本尊に大聖人が表されて現存しているのは胎蔵・金剛界の両方の大日如来が一幅、胎蔵界の大日のみが一幅であり、両方とも上に引用した御書のように、「宝塔品の多宝如来の左右の脇士」として表されているのである。


>依義判文とは義によって経典の解釈をすること、依文判義とは文によって義に通ずることである。日寛上人が依義判文として大日経義釈を用い、演密抄を引用したというのであれば如何なる文段を構築したか述べよ。(爆笑)、


大爆笑である。
第一に法太郎は「依義判文」と「依文判義」を混乱して使っていた。そのことは既に「法太郎、無慚  投稿者: 月餅  投稿日:10月19日(水)12時17分57秒 」で、法太郎自身の言葉を引用して証明した。
おまけに、まだ、意味を本当には理解していないのである。

法太郎が引用したところが日寛上人が依義判文として用いられているところではないか。
法太郎よ、依義判文として用いられているのでなければ、日寛上人の引用は何のためなのだ?

「爾前は迹門の依義判文・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」(十章抄)

そして依義判文は、踏襲ではない。
大聖人が「曼荼羅」形式を御本尊図顕で採用されるにも、あくまでも大聖人の義でもって採用されている。それは真言密教義の曼荼羅ではなく、大聖人における義での曼荼羅として顕されたのである。

「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(十章抄)


>大聖人が明らかに法華経には「合掌の印あり」と御指南されておることは事実である。(爆笑)、

なんだたったこれだけの、反論不能か。
次のように大聖人が仰せなのも事実だぞ。
「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)
「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)

再説してあげる。
まず、提示された文の直前に、次のように言われていることを見落としてはならない。
「法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙・葱嶺等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり」
「印契・真言の勝るると云う事是を以て弁え難し、羅什所訳の法華経には是を宗とせず不空三蔵の法華の儀軌には印・真言これ有り、仁王経も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副えたり 知んぬ是れ訳者の意楽なり」
つまり、法華経において「印契・真言」は枝葉のことなのである。

これをふまえた上で、「合掌の印之有り」は「大日経」との比較の中で「法華経」に説かれたものとして示されるのである。
だから真言の「印・真言」に対しての法華経の印契として、「合掌の印之有り」と言われているのはこの『真言見聞』においてだけであり、
「合掌」は、大日経等の純密経典が成立する以前から、仏・菩薩を礼拝・恭敬する時に用いられて来たものであり、法華経は自身の義によってこれを採用しているのである。
ずっと後世成立の真言密教義では左右の手を金剛界・胎蔵界や理・智等に配当し、手印としての合掌という形式を説く。その「『蓮華合掌』というれっきとした『印』」から、法華経は採用したのではない。
また、「合掌」が、「大聖人の御本尊は印である」では無いことは明らかである。合掌に意義を持つことと、「御本尊は合掌である」とはぜんぜん違うことであるのは、簡単な道理である。


大聖人は印契は重視しないことを繰り返し言われている。
これまでも何度も引用しているが、法太郎は全く大聖人の仰せを無視している。
大聖人の仰せなのである。

「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)
「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)

「印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり。」(法華真言勝劣事)
「凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には、何の不足か有るべき。」(同)

「法華経には印・真言なけれども二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり。大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり」(聖密房御書)

「真言宗の漢土に弘まる始は天台の一念三千を盗み取って真言の教相と定めて理の本とし・枝葉たる印真言を宗と立て宗として天台宗を立て下す条・謗法の根源たるか」(法門申さるべき様の事)


>私は大聖人の御書を引用して論じたのであり、チャンコロ月餅のような「己義」に執着している恥知らずではない。(爆笑)


法太郎が引用したのは、『秀句十勝抄』の意図を無視して、一行による「大日経疏」の「謂く字と印と本尊となり。随つて其の一を取つて一合相なる是なり。字・印・尊等しく、身・語・心等しきをば実相を見ると名く。」を依文とした「大聖人の御本尊は印である」である。
法太郎自身が認めたように、大聖人はもちろん、歴代の誰も是を引用して「大聖人の御本尊は印である」とは言っていない。
大聖人は、印契は枝葉と明瞭に言われているだけでなく、
「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)
「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)
と断じておられる。
法太郎の己義であることは明瞭である。恥知らずは、法太郎であるこちは明らかである。


>御本尊の相貌が印相であることは法華講の碩学が論じたものであり、日達上人は「解」と允可を与えておることは事実である。(爆笑)、

松本氏のその所論が、現実の大聖人の御本尊全てに当てはまらないことは既に指摘した。
歴代の書写も当てはまらない御本尊があるぞ。
日達法主は、御本尊に当てはまらないことを「解」と允可を与えたのか?

しかもだ、松本氏は「大聖人の御本尊は印である」とは言っておらない。


>チャンコロ月餅は、御書に説かれた空海の真言に対する破折と、大聖人が依用した天台の密教の違いが理解出来ていないようであ。当然であろう。大聖人とベルグソンの違いが理解出来ておらないのである。(大爆笑)

法太郎は、空海の真言と大聖人の法門の違いも、天台密教と大聖人の法門の違いもわからないのである。(爆笑)
当然であろう、月餅がベルクソンの言葉を引用して、大聖人の覚りは既存の思想の寄せ集めではないことを、ベルグソンの指摘と重なると言ったことさえ読解する能力も無いのである。(大爆笑)

ベルグソン「哲学的直観」の引用である。
「哲学者が没頭した問題はその時代によって出てきた問題でしょうし、彼が利用し批判した科学はその時代が生んだ科学でありましょう。彼がのべた理論の中には、その気にさえなれば、同時代や先だつ時代の思想を見つけることもできましょう。それは当然です。新しいものを他人に理解させるにも、その表現は古いものを通して行うほかないのです。すでに出された問題、前に与えられた解答、彼が生きた時代の哲学と科学、これらはどんな大思想家にとっても、自分の思想を具体化するためにどうしても利用せねばならぬ材料だったのです。・・・・しかし、表現の単なる手段にすぎないものを学説の構成要素と見ることは、奇怪な誤りです。」


以下、別掲のものも簡単に触れておこう。

>>①
>>②
>>③

>反論不能であるな。(爆笑)、

法太郎は反論不能だから、たったこれだけ言うのが精一杯なのだ。(爆笑)


>が、横槍氏や、東風氏の指摘で、ネットの検索で調べられると知ったときは、正直いって、爆笑したぜ。

一行の「大日経疏」を引用していることに気づかないでいることには、正直いって、爆笑したぜ。


>「法華経と大日経を「理同」と主張する真言の教えは、仏説に反する誑惑の邪義である。また「事勝」とは、大日経に印と真言が詳しく説かれているとの主張であるが、『法華経』においても方便品に、「為に実相の印を説く」(開結一一一)とあり、譬喩品にも、「我が此の法印は、世間を利益せん」(開結一七三)と説かれており、大日経だけの独説ではない。


「事勝」と真言が主張する「印契」と、法華経方便品の「為に実相の印を説く」・譬喩品の「我が此の法印」の「法印」とは違うのだ。
法華経の「実相の印」・「我が此の法印」の場合は、三法印(または四法印)に対して、大乗仏教では「諸法実相」の一印を示し、法華経の「諸法実相」こそ真実の法印とするのである。

だから大聖人は次のように言われるのである。
「凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず」(真言天台勝劣事)
「法華に印相・尊形を説くことを得ずして説かざるに非ず。説くまじければ是を説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説いて其の形がとある、かうあるとは云うべからず。」(同)

>立正大学の執行海秀氏の所論を見てみたい。

彼は石山教学批判の急先鋒だ。どうせなら全てを法華講員に紹介してあげればよい。

http://www.yonosuke.net/clip/data/4493.mp3

 

過去ログ紹介

 投稿者:池田姦作  投稿日:2005年10月30日(日)20時25分28秒
返信・引用
  754.ジーグフリートさんはこんな人でした

名前:牛飼    日付:4月21日(月) 6時9分
 僕は同性愛者です。
 ジーグフリートさんはゲイネットで有名な人です。ゲイリブ活動でも堂々と本名を名乗っていたので、波木井坊竜尊としてネット荒らししてた時、「ああやっぱり」と思いましたよ。当時僕らはネット電報で「新興宗教でも起こして教祖様になる気じゃねーの、あのバカ」と話し合ってましたから、「葵講」とかいう新興宗教を旗揚げしたとか言ってた時、「ほらね」とみんな思ったと思いますよ。
 彼はGun HEADや同性愛団体のアカーでも創価学会の人をヒステリックに攻撃しまくってました。ゲイネットよりも、アカーとかのゲイリブ活動で創価学会の人を攻撃することが多かったんじゃないかな。
 あと南部とかいう殿様の直系子孫だとか日蓮の血が流れている子孫だとか、極左ゲリラ活動をしてたとか、自民党議員の秘書さんをしてたとか自慢しまくってましたよ。僕らは「また始まったよ、ホラ吹きアナルの大ボラが」って言ってました。僕はどこまで本当かは知りませんけど、彼の言うことは誰も信用してませんでしたよ。
 ちなみに「ホラ吹きアナル」というのは隠語で、ジーグフリートさんのあだ名です。

> ジーグフリート溝口さんはGun HEADでゲイ解放運動を訴えてゲイパレードに参加していました。
> みなさんが彼氏と一緒に手錠をつけてデモ行進したというのはゲイパレードのことです。

 これは有名な話です。だってジーグフリートさんがテレビに映ったって、自慢しまくってましたからね。彼の自慢性癖はネット荒らし級でした。
 優しさがなく人をいたわることを知らないジーグフリートさんですが、彼氏さんにはメロメロだったんですよ。今のジーグフリートさんしか知らない人には想像できないかもしれません。当時静岡市にあったゲイネットの管理人さんは会議室で書いてましたけど、ジーグフリートさんはその彼氏さんにかなり貢いだようです。
 でもジーグフリートさんはその彼氏さんにも愛想つかされて捨てられたって、みんな話してましたよ。

> ジーグフリート溝口さんはその後LOVINというゲイネットに参加しましたが
> この時はすでにGun HEADで掲示板荒らしとしていたとまたうるさい人間だと
> LOVINのメンバーに知られていたので2~3回投稿したものの
> レスはほとんどなく誰も相手にしなかったので辞めていったのです。

 LOVINというのはGun HEADの元管理人さんだったC鉢さんが旗揚げしたスタジオスタックという会社のゲイネットの名前です。のちにLOVINはガービィーに改名したんです。東京にあったんですよ。
 ジーグフリートさんの嫌われようは見ていて少し可哀想だなって思えるほどでした。Gun HEADでやってきたことがやってきたことなので仕方ありませんが、徹底的に嫌われてました。
 C鉢社長さんやスタジオスタックの出資者のSさんもジーグフリートさんを嫌ってました。このSさんはゲイネット界の大御所で、彼に嫌われたらゲイネットでは生きていけないほど影響力を持ってた人で、事実このSさんは人格者であり、優しい人で、みんなに慕われてました。優しいSさんにもジーグフリートさんは嫌われてしまったんですよ。
 Gun HEADのウラ掲示板でもネット荒らしジーグフリートさんへの批判が集中してましたが、ジーグフリートさんはウラ掲示板の存在を知らなかったんじゃないかな?だって反論投稿なかったし。

> 叩き出されたとはいいませんがみんなから総すかんを食っていました。

 叩き出されたと同じでしょ?みんなから嫌われて、無視されて、LOVINにいれなくなったんですから。当時彼のことを嫌ってなかったゲイはいないでしょうね。2chを見れば、彼の嫌われようが分かりますよ。

> ジーグフリートさんがLOVINに登場した時あっしらは「嫌な奴が来たな」と話していました。
> あの頃から彼の裸の王様体質は変わっていません。

 ホラ吹きアナルと呼ばれたジーグフリートさんは自慢性癖のある人で、何を書いても無視されてしまうほどの裸の王様でしたよ。





749.そうそう、波木井の書き込みで忘れちゃならない一発がありました

名前:一風    日付:4月20日(日) 21時11分
Now viewing page 1 of 5 (02-Jun-2000 08:49:49 to 01-Jun-2000 08:44:46)

ジーグフリート溝口さんはGun HEADでゲイ解放運動を訴えてゲイパレードに参加していました。
みなさんが彼氏と一緒に手錠をつけてデモ行進したというのはゲイパレードのことです。

ジーグフリート溝口さんはその後LOVINというゲイネットに参加しましたが
この時はすでにGun HEADで掲示板荒らしとしていたとまたうるさい人間だと
LOVINのメンバーに知られていたので2~3回投稿したものの
レスはほとんどなく誰も相手にしなかったので辞めていったのです。

叩き出されたとはいいませんがみんなから総すかんを食っていました。
ジーグフリートさんがLOVINに登場した時あっしらは「嫌な奴が来たな」と話していました。
あの頃から彼の裸の王様体質は変わっていません。
*********************************************

 このジーグフリート溝口というのがお釜に有名な「ジーグフリート溝口の同性愛の部屋掲示板」の
主催者だということなんですが、なにをかくそう波木井のようです。


--------------------------------------------------------------------------------
748.参考のために*****女装趣味がある、波木井坊竜損

名前:一風    日付:4月20日(日) 20時59分
 これも2チャンにあった波木井坊竜損の情報ですよ。

>>>>>>>>>
http://society.2ch.net/koumei/
*********************************

154 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆ :03/01/24 11:53

そ~いえば偽装入講した時、元学会員で法華講のおばちゃんが、”昔、私は、
よく折伏にいって本当に塩ぶっかけれたもんさねえ。それでも折伏は止められない”
って得意げに言ってたのを思い出した。

*********************************

一歩さん、
>葵講なる講は存在するんでしょうか?

存在したとしても、上のようなカキコをするようでは、似非信仰集団ですよ。
自宗の信仰に対する誇りを、持っているのでしょうかね。
たしか、女装して顕正会の会合に潜入したことを、かつてFS研で自慢していたな。(笑)
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1042947635/l50
<<<<<<<<

 いくらなんでもねぇ、性的障害を持っている波木井坊竜損らしいですね。
これはうその騙しねたではありません。古いネッターの常識なのですが、
参考のために、もう一辺あげておきます。

>>>>>
[697] 00/05/14(日) 04:57 大謗法身延派の犯罪を追求する市民の会

我々学会員のMLには色々な情報が提供されている。
波木坊竜尊こと宗教ヤクザ溝口(このはなインターネット)は、
『GunHEAD』というホモのパソコン通信で庶民の学会員を
さんざんイジメ抜いた。
またホモのパソコン通信のSMの掲示板で未成年(もちろん男)を
新宿2丁目でナンパし、調教したと自慢げに書き込んでいたそうだ。
別にホモが悪いわけではない。波木坊竜尊がたまたまホモであるために
同性愛者の代表のように思われがちだが、
我々1千万学会員には同性愛者のGもあり、健全な活動をしている。
波木坊竜尊こと宗教ヤクザ溝口浩という奴は人として最低である。
波木坊竜尊が日蓮宗の代表作に思われてしまうのは、身延にとっても迷惑だろう。
邪宗大謗法であっても身延に同情もしたくなる。
****************************************


--------------------------------------------------------------------------------
747.参考のために

名前:一風    日付:4月20日(日) 20時7分
 2チャンにつぎのようなスレッドがあり面白い情報が流されています。
この掲示板の人たちは2チャンと関係ないみたいですが結構参考になりますよ。

>>>
■▲▼
【3:655】☆波木井坊竜尊(溝口浩)は人格障害か?その2☆
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 03/03/16 12:02 ID:yyQXNPCX
前スレhttp://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1037615451/
(html化待ち)

診断基準
自己愛性人格障害
アメリカ精神医学会 DSM-IV

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。


1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2.限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賞賛を求める。
5.特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6.対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行勤 または態度。

どうでしょう?

↓こちらのサイトを参考にさせていただきました
http://ime.nu/homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html


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大石寺誑惑顕本書

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月30日(日)13時30分52秒
返信・引用
  【本文】
問うて云はく、若し偏色の袈裟を開山懸け玉はずして誰か着用し初めて興門流一同に懸け候や。

答えて云はく、是れ亦大石寺の日有の頃より偏白の袈裟をかけ初めたる者なり、其の頃は富士五山にさしたる仁も之れ無き故に、日有等が僻事を怪しむ者もなくして法滅の相も知らず、只開山の思し食しに相かなう事と思い日有等が才に打ちまかれ、五山一同に白袈裟をかけ候故に諸国の興門の者、富士五山の姿を見て是又開山の本意と思い、一統に白袈裟をかけて久しくなりし者なり、悲しむべし、全く開山以来の事に非ず。

問うて云はく、されば日有上人等の前までは如何様なる姿に候や。

答えて云はく、先ず当山生御影の尊容の通り多分薄墨染の衣、同色の袈裟並びに諸色の袈裟を用ひし者ならん、其の故は大石寺日行の偽書と申し伝うる所の廿六ヶ條にも衣の事は之れ有りとも袈裟の事は何も之れ無く、若し袈裟も白色に限るならば白より外諸色の袈裟着用す可からずの一ヶ条を立つ可き事か。

衣よりも袈裟こそ大切なれ、万年の掟として何ぞ定め置かざるや、是をもって知る、白色の袈裟を許さず薄墨にも限らぬ諸色の袈裟をも許さるる事を知るべし。

又それ、祖師、開山諸色の袈裟を禁じ玉う書之れ無し、禁じ玉う事無きは一色一香旡非中道なれば強いて禁ずべきを謂われ無き故なり。しかれば興門の衆徒早く偏白の袈裟を止めて古風を慕はば宜しく薄墨の衣に書色の染衣を着すべし、しからずんば失無き開祖に失を招かん、思惟あるべし、あるべし。

次に黒衣謗法の義を会通せん、其れ録外廿一に墨衣並びに平念珠、地獄に堕すべき事と遊ばして次に法鼓経に黒衣謗法にして必ず地獄に堕つと有り、其の浄土宗の平念珠、真黒衣を破折する用文なり、今の重須に用いるところの黒衣は彼に異なり、紺色を用ふ、紺は青、赤、黒を兼ね世尊所判の三種の壤色に相似たり、全く此の方の正黒衣には非ず、故に紺色をもって只平僧の衣とす。

又、大法事の節は位階によりて老僧等には法服に七條、平僧には素絹五條又は木綿の七條を用う、




 大石寺の出家の薄墨衣、白袈裟が日有上人のころからのものであるということは大嘘です。
日興上人が黒衣にいろいろな色の袈裟を着用したという史伝書はなく遺戒置文には黒衣は禁止されています。

 重須でも黒衣や色袈裟をつけはじめたのは徳川家との関係が深まってからのことであり大石寺の日俊上人は
これを批判されています。

 ここでの謀書は歴史事実までも歪曲して謗法を強弁しています。
 

創価の恥さらし,月餅

 投稿者:池田寸作  投稿日:2005年10月30日(日)13時03分12秒
返信・引用
  ■日達上人は明瞭に大聖人の御本尊は成仏の印であると御指南されていたのであります。
 これで月餅くんの逃げ場は完全に無くなったといえますね。
 

学会員の月餅さん?これからも期待します

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年10月29日(土)23時17分24秒
返信・引用 編集済
  東風殿いわく
>【日達上人・妙法曼陀羅供養事ご説法】
>(前略)
>あるいはまた大聖人様は「三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり
>給う」とも仰せになっております。この妙法蓮華経がなければ、三世の諸仏というもの
>は生まれてこない。だから、この妙法蓮華経は一切三世の諸仏の御師であり、
>また一切女人の成仏の印である。(昭和40年4月18日沖縄・光明寺御親教)


これは,,,これは,,,

御本尊様の当体が真言密教の印に相当しているとはいくらなんでも
拡大飛躍の論理ではないかと思っていました,,,密教の印が御本尊様に
備わっているというのは日顕上人も三界二十五有のすべてが
大御本尊に備わっているというご説法を聞いていますので
理論的には理解していると自覚していました。

日達上人のご説法にそのものがあるとは重要な指摘です。
 

月餅くんの無知蒙昧について。

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月29日(土)21時53分8秒
返信・引用
  今回ばかりは、私もほとほと呆れ果てたものであります。

(01)日蓮大聖人が印と本尊の合一は他の御書に説かれていないから用いることは出来ない(要旨)

(02)歴代の上人の誰もが説いていないから用いることは出来ない(要旨)



 (01)については法太郎氏が明瞭な指摘があり、日蓮大聖人が他の御書の中で徹底して破折した
叡山の慈覚の言を、大聖人様は、御義口伝において法華最勝の文証として引用している。

 この事実は、大聖人様の御書には一カ所しか無い御指南は存在しており、これをもって
依用出来ないというのであれば大聖人に対する師敵対の謗法であり、日蓮大聖人を無視して
月餅くんの幼稚な我見を通すという「己義荘厳」の大謗法である。


 (02)について、月餅くんは歴代の諸師が説いてもいないことを法太郎氏が論じていると難じ
ているが、このような仏教学の内容はやはり、本宗の教相をまったく知らない無知蒙昧であると
断じてよいと思う。


【日淳上人・本尊問答抄講義】
「日蓮大聖人御建立の御本尊は、仏法の要諦の一切を残るところなく含ませ給ふのでありますが、故に若し此の御本尊を開いて拝しますならば、重々無尽の義があらせられるのであります。本来此の重々無尽の義を具へさせ給ふに、大曼陀羅御本尊の御建立があらせられたのであります。(日淳上人全集523P)」


 これは法太郎氏が以前に註した御本尊とは「輪円具足」であり、すべての法(諸仏の)が備わっている、
ということと同じことであり、であれば大聖人様の御本尊の中には大日如来が在座しているように
大聖人己心の大日如来があるというのも頷けるし、当然のごとく真言密教の印も「付随」していることは
想定できる。

■このことは、法太郎氏が日寛上人の「妙法曼陀羅供養談義」を引用しているので正義であります。


【日寛上人・妙法曼陀羅供養談義】
三には功徳聚と翻ずるなり。義釈の四に云わく「夫れ曼陀羅とは、名づけて聚集と為す。今如来の真実の功徳を以て、集めて一所に在く」文。演密抄に云わく「夫れ曼陀羅等とは、曼陀羅は是れ諸仏如来の真実の功徳を蘊集し、積集するの所なり。故に以て名と為す」文。是れ当流の題目なり。


■日淳上人の御指南は日寛上人の御指南に基づいたものであろうと思われる。また、
妙法曼陀羅供養事を講義された歴代の御指南を見てみたら日達上人のご説法に以下のご説法があった。


【日達上人・妙法曼陀羅供養事ご説法】
(前略)
あるいはまた大聖人様は「三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給う」とも仰せになっております。この妙法蓮華経がなければ、三世の諸仏というものは生まれてこない。だから、この妙法蓮華経は一切三世の諸仏の御師であり、また一切女人の成仏の印である。(昭和40年4月18日沖縄・光明寺御親教)


■日達上人は明瞭に大聖人の御本尊は成仏の印であると御指南されていたのであります。
 これで月餅くんの逃げ場は完全に無くなったといえますね。




(感想)

 ともすれば爾前権教の経教を謗法として退けがちな私どもですが、これもまた違法な
考え違いというべきではないでしょうか。末法の我々衆生には爾前の八宗、十宗は成仏できない
から謗法であり、破折し捨て去るものとかんがえがちなのです。

 創価学会員の月餅くんなどはガチガチの「初心者教学」から進歩していないと笑っていましたが
自分も含め五十歩百歩というとこではないかと思った。日達上人は以下のようにご説法されています。


【あるいは三千塵点劫の昔の大通智勝仏の時に法華経を説いた。またその功徳が伝わってきておるからして、釈尊滅後二千年の間は、それでよかった。その本の根本の功徳によって、今軽い教えの権教によっても成仏することができた。だから天台、妙楽大師も「脱は現にあれども本種にのぼる」と、具騰本種という種を考えなくてはならないといわれております。たとえ正法、像法の時代に成仏しても、その根本は久遠の妙法を授けられたからして成仏するのである、ということを説かれておるのでございます。(同)】


 正法時代と像法時代には真言宗も念仏宗も正法であり成仏得道の仏法であったということ、
そして、それらは、密教や念仏の宗法によって成仏したのではなく、法華経を下種された機根の衆生が
熟し脱するために法華経を思い出させるために説かれたのが爾前、権教であるということです。

 であれば、八宗、十宗とも法華経の一部であるということですね。これで仏教どころか外道の経典までの
一切経はことごとく法華経であるという意味が漠然と理解でき知らなかった世界が迫ってきます。

 今ふっと浮かんだ経典の一節があります。「無量義とは一法より生ず」、無量義経でしたか。
 

大石寺誑惑顕本書

 投稿者:東風@脱会を考える会  投稿日:2005年10月28日(金)22時57分18秒
返信・引用
  【本文】
又御義に云はく、譬えの蓮華と云うは泥の中より生れたる蓮華の、泥に染まざる如く我等が本性、清浄の蓮華の泥水にそまらずして倶体倶用の諸尊を具足したる事を顕はせり、当体の蓮華とは一切衆生の胸の中に八分の肉団あり、白くして而も清し云々、此等の御文それ有り、以て大石寺にて用いる法衣は譬喩即法体、法体即譬喩にして成仏の意を表して之を着るといえり如何。


答えて云はく、汝らが云うごとくならば実に己義荘厳をもって謗法を招くものなり、祖書に上くだんの御文字ありといえども汝等が依怙とする所は皆私の義なり、抑も在家にて染衣を着する国には出家は白き袈裟を用ひよ、祖書に前の如き文あれば白袈裟を着すべしと云うこと何れ経論釈疏なりや、御書判等に之れある耶、若し証文無くば憶度の説なり、信用するに足りず、

其れ聖経太子、僧に白衣を免じて着せ、其の上に法衣を着せしむ、則ち大衣、九條七條五條等の染衣なり、今に至て其例なり、伝教大師も八幡大菩薩より紫の袈裟衣を賜はると聞くといえども未だ白袈裟を賜はし且つ許されし事を聞かず、故に祖師・開山も許されず、若し開山白袈裟をかけ玉うとも経論祖書に之れ無きは信じ難し。

問うて云はく、たとえ経論祖書に之れ無くとも若し開山興師是をかけ玉はば是れを用いずば開山を軽蔑するになりぬらん。如何。

答えて云わく、「修多羅とともに着る者は禄して之れを用いよ、文無く義なきは信受すべからず」(文)。世尊云わく、法に依りて人に依らざれと、祖師・開山は専ら此等の文をひき、文義なき人師の書をば用い玉はず、仏説たりとも疑ひあるならば左右なく信受すべからずと有れば、たとひ開山の法義たりともよる所無きは信じがたし、殊に開山の法義は蓮祖の法義なれば、法滅たる真白の袈裟を懸け玉はず、其れ祖書に云はく、白小袖一、薄墨染衣一、同色袈裟一帖、鷲目一貫文給い候已上。

又内卅一阿仏坊御書に云はく、染絹の袈裟一進候已上、又当山生御影の尊容も薄墨染の袈裟同色なり。これは袈裟は必ず染色にすべき証拠なり、殊に阿仏坊の送りられし袈裟は何色かは知らねども是は薄墨とは思はれず、其の故は宗旨御建立の初なれば袈裟の色も亦墨に限るならば諸色を禁ぜんが為に薄墨色の袈裟と遊ばさるべきに但染め絹と遊ばされ候えば染の一字に諸色を含めり。

然れば祖師は染色を許し玉うに開山之れに背き何ぞ偏に白の袈裟を懸け玉はんや、若し懸け玉はば蓮祖に敵するの過あらん、開山に於て豈其の義あらんや、其の義無くば偏白の袈裟を懸ける門徒は法滅を願う故に仏祖、開山の法敵なり、謗法なり、無間の罪人なり、恐るべし、恐るべし。




 この謀書の作者の驚くべき幼稚な発想は理解不能であります。
「答えて云わく、「修多羅とともに着る者は禄して之れを用いよ、文無く義なきは信受すべからず」(文)。」とは、ただしくは

 「修多羅と合せば禄して之れを用いよ、文無く義なきは信受すべからず」であり
すこしは御書をかじった人であれば誰でも知っている文章であります。

 なぜこのような幼稚な方策をとったのか理解に苦しむものです。
袈裟の白色については末法をあらわすのであれば白色というのは
あたりまえの話しで法滅尽経の意味を逆手にとっているといえます。

 この話題はつづきます。どのような言い訳をしても
日蓮大聖人の衣は薄墨で袈裟は白色なのは門下の通例であります。
無理に無理を重ねたへたな言い訳のつづきはまた次回とします。
 

板を読んでの感想

 投稿者:虞美人草  投稿日:2005年10月28日(金)22時17分22秒
返信・引用
  創価のバカどもは、基礎教学が全然できてないねしょう。
まあ、教えられる人材がいないからしょうがないのでしょう。

大綱と網目、能開と所開なんて全く理解してないですね。

能所のたて分けをわきまえない、無知蒙昧ぶりは、いたるところにみられますよ。
衆生本仏論なんてその典型でしょう。

それでいて正宗の歴代のご指南を、必死になって探したりしてさ。
ははは、笑っちゃうよ。

大聖人直結とはおそれ入谷の鬼子母神ですわ。
経巻相丞の顕本法華宗以下だよ。
 

れいな会長の言

 投稿者:横槍@脱会を考える会  投稿日:2005年10月28日(金)22時09分5秒
返信・引用
  > 「愚人に嫌われるは第一の名誉なり」と・・・・。
>
> 爆


ほんに、ほんに、がまあ、月餅くんも、この板が気になってしょうがないの
でしょうね(笑い)。

必死になって張り付いているでしょう(笑い)。
 

Re: 創価学会の代表選手、月餅君よ

 投稿者:れいな  投稿日:2005年10月28日(金)21時43分22秒
返信・引用
  > おっしゃるとおりでしょうね。
> 月餅は、法太郎とれいなは、ネット・テロリストと呼んでもよいくらいの者と認識しております。
> これまで彼らが学会を誹謗してきた様は、あまりにひどい。
>
>
> 「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
>
> すばらしいお言葉まことにありがとうございます。
> 創価学会員に嫌われることを誇りにしておる私に、大変名誉なお言葉、感謝、感謝!
>
> これからも創価学会員に嫌われるホームページ作りに
> 専念いたす所存です。
>
> 智者いわく、
>
> 「愚人に嫌われるは第一の名誉なり」と・・・・。
>
> 爆
 

チャンコロ月餅には笑ったナ、(笑)、

 投稿者:法太郎、メール  投稿日:2005年10月28日(金)21時15分28秒
返信・引用
  最初、このチャンコロ月餅が依憑集の原文と、創賊の御書には無い、秀句十勝抄を
引用したときは、感心したものだった。


どこぞの図書館にでも行って調べておるのだろうと思った。

が、横槍氏や、東風氏の指摘で、ネットの検索で調べられると知ったときは、
正直いって、爆笑したぜ。


やはり、創賊は創賊、ノータリンの集合体であり狂乱の極みの痴犬集団なのである。(笑)、
 

日蓮正宗の教義拝考

 投稿者:法太郎、メール  投稿日:2005年10月28日(金)21時12分49秒
返信・引用
  ※脱会を考える会のメンバーよりの指摘を再掲載する。

「大日経は釈尊五○年の説法中、第三方等部に属する方便権教の経である。釈尊は法華経の序文である『無量義経』において、「四十余年には未だ真実を顕さず」(開結二三)と説き、『法華経』に至ってからも方便品に、「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」
(開結一二四)

安楽行品に、 「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最もその上に在り」(開結三九九)等と説かれ、法華経こそが最勝の経であり、真の秘密教であると自ら説かれている。したがって空海の説く「顕劣密勝」は釈尊の本意に背く邪義であり、法華誹謗の罪過に当たるものである。
(諸宗破折ガイド68㌻)

「法華経と大日経を「理同」と主張する真言の教えは、仏説に反する誑惑の邪義である。また「事勝」とは、大日経に印と真言が詳しく説かれているとの主張であるが、『法華経』においても方便品に、「為に実相の印を説く」(開結一一一)

とあり、譬喩品にも、「我が此の法印は、世間を利益せん」(開結一七三)と説かれており、大日経だけの独説ではない。たとえ手に印を結び、口に真言を唱え、即身成仏を説こうとも、十界互具・一念三千の実義もない大日経は、空理空論の邪説である。
(諸宗破折ガイド、69㌻)



※大聖人の仏法が密教仕立てであることは仏教学から見れば当然のものである。これは以前にも述べたが、立正大学の執行海秀氏の所論を見てみたい。これは已前に「横槍」氏がこの掲示板に投稿した文をそのまま引用する。



****************************************************************
『興門教学の研究』海秀舎245~257頁より転載〈印度学仏教学研究14の1号>-昭和40年12月
 一
 興門教学というのは、日蓮聖人の直弟である日興の門流の教学を意味するが、その中でも特に、富士大石寺派の教学を指す場合が多い。したがって、それは日蓮正宗の教学を中心とするものである。いまこれを教学史の立場から見れば、日蓮教学の一分化であり、その展開にすぎないのである。しかしこれを、日蓮正宗の宗学史の立場からすれば、それは日蓮教学の本議を解明するものとして、取扱われるであろう。ところで、いま本論においては、かゝる宗学史的立場を離れて、教学史的立場から、興門教学の展開を考察してみたい。

 興門教学は自らは、日蓮教学の正統をもって任じ、日蓮聖人の真意を伝うるものとする。けれどもこれを客観的に、教学史的立場から考察すれば、それは日蓮教学の領域を逸脱して、独自の教学を形成したものである。すなわち、興門の教学は、仏教の本義を解明しようとする、仏教内における一つの宗派としての教学ではない。いわば、それは仏教そのものを批判し、これを否定することによって、新たな一つの宗教をうち立てようと試みている。

 日蓮聖人は、後世、日蓮宗の派祖と仰がれているが、聖人自らは、一宗一派の祖をもって任じたのでなく、仏教思想の混乱を正して、その本義を明らかにしようと努めたのである。つまり「釈尊出世の本懐」を究明、これを弘めることをもって、自己の使命とした。
聖人は、天台の権実判に基づいて、法華経以外のすべての仏教は、法華経の教えに導く、方便の門であると信じた。したがって、釈尊滅後に弘められた仏教各宗の教えも、それはすべて、法華一乗に帰入すべきものであって、いわば、法華経流布の「序」であると見做したのである。

 ところでこゝで問題となるのは、天台、伝教等によって弘められたいわゆる、天台法華宗の思想について、聖人はどのような態度をとったかということである。それは大体、佐渡以前では、法華経以外の諸経典による諸宗と、法華経に基づく天台宗との、いわゆる権実判に立脚しているのであって、天台附順の立場がとられている。しかるに、佐渡時代より後は、天台宗もなお、法華経の一部である迹門分を弘めるものであって、法華経の真説ともいうべき本門分の実義が弘め残されている、という見解に立つのである。

 そして迹門分の法華経は、なお仏意未尽の教であり、本門分の法華経こそ、釈尊随自意の教で、これによって初めて、法華経の実義が明らかにされるものというのである。天台は、法華経に本迹の相違を分つのであるが、迹門の理を体とし、本門の事を用と見做し、この迹門中心の法華経に立脚したというのである。そして聖人自らは、迹門の理をもって仏意未尽、と見做し、法華経の理を、本門の事に見出し、本門中心の法華経観こそ、法華経の真意を得たものと解したのである。

 したがって、法華経を本迹二門に分った場合、天台は法華一経の理体を、前半の迹門にとるのに対し、聖人は後半の本門にとったのである。そしてこの本迹判の進退によって、同じく法華経を所依の宗としながら、迹門宗と本門宗、つまり台当の区別を分つのである。かくして、約宗判の根拠として、法華一経を迹門分と、本門分の二経に分つのであるが、一宗所依の経典としては、共に本迹二門を採用するのであって、法華経そのものに、二経の別が存するのではない。つまり法華経における本迹観の相違によって、台当二宗を分別するのである。

 二

 しかるに、興門の教学においては、法華経の教法としての本迹に本的質な相違を認めず、本迹共に迹門と下し、これを所依とするのが、天台法華宗であるという。そして、釈尊の法華経の根元に、根本の法華経を認め、この法華経を所依とするのが、日蓮法華宗であると見倣すのである。すなわち釈尊所説の法華経はかつて本因の種子を植えた本己有善の機のため、その本因を育成せしめる脱益の法である。

 これに対して、日蓮聖人所弘の法華経は、本未有善の機のため、直ちに久遠の本法を有りのまゝに下種するもので、久遠の妙法そのものであり、久遠本仏の自内証の法であるというのである。かくして、釈尊の法華経は、化他のために説かれた随他の教であり、日蓮聖人の法華経は、久遠本仏が自行成就のために、行ぜられた本困行そのもので、随自意の法であるとし、両者の間に、教観を分ったのである。

 したがって興門によれば、日蓮聖人の法華経ほ、釈尊所説の法華経を弘めるものでなく、また行法としての題目も、それは法華経思想を根底とし、基調とするものではない。日蓮聖人所弘の本門の題目は、法華経には、本門においてもなお文底に秘して伝えなかったところの、久遠元初の本困妙そのものであると、主張する。

 要するに興門の教学は、顕教としての、釈尊の教説に根拠を置くのでなく、むしろ釈尊の教説の依って基づく、根元としての密教の世界を認め、これを久遠元初の世界と見做すのである。そしてこの久遠元初の世界を本門とし、釈尊の教説はすべて、その垂迹の法門であると見るのである。つまり今番出世の釈尊の法華経は、久遠下種の法を脱せしめる脱益にすぎないのであって、その法華経に下種の力用を認めない。

 しかも在世の法華経による得脱も、それは過去久遠下種の功によるのである。しかるに久遠下種を得た衆生は、仏在世を中心とし、その滅後、正像二千年にて尽き、未法に入っては、すべて下種なき本未有善の機となるので、在世の法華経によって、得脱せしめることはできないというのである。

 日蓮聖人が法華経の優越性を強調されたのは、権実判の立場から、法華経によって、在世の衆生が、真の得脱を成すことができたことを明らかにしようとされたがためである。在世の法華経は、久遠下種の機に説かれたがために、得脱の益を与えることができたのである。しかし今日、未法の本未有善の機にとっては、在世のまゝの法華経では、脱益の法となることはできない。

 そこで権実判は、在世顕説の者を中心とする教判であって、天台の教判に依られたものにすぎないのである。末法においては、爾前の経による権教が無益であるばかりでなく、実教としての法華経をも、白法隠没として、否定せられるのであって、たゞ本門の下種としての題目のみが、存在意義を有するというのである。
****************************************************************


※ここで、執行海秀氏の指摘した問題点を検証してみたい。


①執行海秀氏は「富士門流教学」といえば大石寺門流の教学を指すと云っているがこれは正しいが不足している。

②執行海秀氏は大石寺門流では天台教学を迹門とし、日蓮教学(大石寺門流の)を本門としていると述べているが、これは正しいが不足している。

③執行海秀氏は大石寺門流では通仏教の釈尊を否定して「密教の世界」を認めこれを久遠元初としている、というが、これは正しいが不足している。

④執行海秀氏は、大石寺門流の教学では、末法では釈尊も天台も白法穏没であり「下種」の題目のみが存在意義を用する、と云っているがこれは正しいが、不足している。


※いじょうは、身延派の碩学である執行海秀氏が述べた外用の一辺であるが、その見方には重大な意義が存していることを、執行海秀氏は気が付かないでいるので、「不足している」と「註意」を付加した。


もとより、私ごとき駆け出しの在家初心者が、仏教学の権威として知られている立正大学の執行海秀教授と対等の論議が出来るものではない、しかし、私は麒麟(大石寺)の驥尾に付した「蒼蠅」であり、松の木にからみついたツタであり、立正安国論に述べられた「付随」であり、なによりも永遠に学び続けたい「学徒」であることを自認している。・・・学ぶ・・・成仏出来ない「声聞」の世界だナ。(笑)、



執行海秀氏の教学は印度応誕の釈尊が仏教の派祖であり、大聖人が御自身でいかなる宗の祖にもあらず、いかなる宗の末流にもあらずを引用しているが、その解釈は的を射ていない。

大聖人が宗教じょうの宗派の祖ではないということは、仏教の始祖である教主釈尊の直系(直受相承)であるが故に途中で派生した途中の宗派の祖師ではない、と御指南されているのである。

また、仏教の始祖である釈尊の末流ではない、ということは、印度応誕の教主釈尊は、法華経の本門で説かれる久遠実成の釈尊であるが、久遠実成といえども成仏した始点があるわけである、これは「有始無終」であるいじょう「無始無終」という永遠性の思想には劣ることはいうまでもない。

そこで、釈尊が成仏した教法の存在とはなにかということを思考せねばならないであろう。その教法によって示される「法」こそ、悟り得たものだけが知れる永遠なる輝ける世界なのである、これを仏教用語で「常寂光土」といい、「久遠元初」と示される世界なのである。
 

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